繰り返される現役世代負担増と問題先送り
日本の高齢化は今後も確実に進行する。つまり、医療年金介護など高齢者向け社会保障費は増える一方で、2025年度予算案では社会保障費は過去最大の38兆円(総額115兆円)となった。2025年には前出・上野氏を含む団塊世代のすべてが後期高齢者(75歳以上)となり、今後も社会保障費は増大する。現場を守る医療・介護関係者の多くは「公費医療介護の内容見直しや合理化は必須」と異口同音に主張しているが、政府の対応は鈍い。
夏の参院選を意識しているのか、冒頭の法案提出のように与野党とも大票田の高齢者の介護環境を維持向上させる一方で、現役世代には社会保険料値上げなどでどこまでも負担を強いる政策が目立つ動きに対して、否定的な意見を持つ若い世代は多い。
外国人介護士より死生観の見直しを
2月6日、政府は「外国人労働者の受け入れに関する制度見直しを議論する有識者会議」の初会合を法務省で開いた。人手不足が深刻な介護、外食、工業製品製造の3分野で外国人の就労を緩和する運びとなった。介護分野のうち訪問看護サービスはもともと外国人就労の対象外であったが、許可される見通しである。
とはいえ、1学年200万人を超える団塊の世代が、「大雪でも毎日看護師が自宅訪問」のような在宅介護を希望者全員、いや一部の人であっても公費で受けることは、経済的にも人数的にも不可能である。「AI介護バカヤロー!」という上野氏の主張とは裏腹に、今後の公費介護は、施設介護を中心に、機械化・IT化などによる合理化や省人化は避けられないのではないか。
それでも、「どうしても自宅で介護」を希望するならば……。「親孝行な子供を育てておく」「自費で介護士を雇える資産を持つ」「要介護状態が長引く前に逝く」「長期化したら自宅は諦めて施設介護へ移る」の、いずれかとなるだろう。
手厚い福祉政策で定評のある北欧諸国だが、その特徴として専門家は「寝たきり老人がいない」ことを挙げている。現地では自分で食事をできなくなった高齢者には無理やり食事(胃に直接栄養を送る胃ろうなど)や水分補給などをしないで自然に看取るのが人間らしい死の迎え方だと考えられており、そのため、長期間寝たきりになる高齢者がほとんど存在しないという。他者が延々と生きながらえさせることは、むしろ虐待と見なされていることもあるのだ。
一方、日本は寝たきり高齢者が増え続けており、医療・介護が日々施されている。それには、巨額の公費がつぎこまれている。
この世にたったひとつしかない命は尊い。ただ、生死に関わる仕事である医師のひとりとして私は、公費による高齢者医療介護で「可能な限り延命」するよりも「死生観の見直しによる穏やかな最期」にシフトする時期ではないか、と考えている。年間の予算を何にいくら使うかを決めるのは国の判断だが、医療や介護など社会保障費を青天井にするのは間違っている。これが、高齢者にも現役世代にも日本経済にも必要な改革であり、思いを同じくする医療・介護関係者は少なくない。