自分が思うように生きるのは案外難しい

こういう自分の保ち方は、僕はいいと思う。

僕は僕のありたいようにいる、ということを、見た目という小さなフィールドだけだったけど実現した。これは僕にとって小さくない出来事だった。そういう種類の実現は生まれて初めてだったし、その後の「自分のありたいように生きる」という生き方につながった。

自分が思うように生きるのって案外難しくて、僕の見てきたところそんな人は10人に1人もいないからね。僕は医者になったが、どうしても小説を書きたくて小説家にもなった。それは僕の生きたいやり方だった。チャレンジできたのは、ちゃんと自分のありたいあり方を貫くスタイルを持っていたから、という気がしている。チャレンジする時には「やめたほうがいい」「無理だ、時間の無駄だよ」と忠告してくる何人もの友人に、僕は僕のやりたいようにやるよ、ありがとう、と言えたのだから。

チャンスの神様はハゲている

そもそも、チャンスとはなんだろうか。

よく、「チャンスの神様は前髪しかない」と言う。僕は小学生の頃から父に言われてきた。

「いいか、チャンスの神様は後頭部がハゲている。来た時にさっとつかまなければ、通り過ぎてからつかまえることはできないんだ。ぼうっとするな」

どういう意味なんだろう、と思ったが、まあわからないこともない。僕の意見では、「たしかにチャンスの神様は前髪しかない。でも、回転寿司みたいにぐるぐる回るので、何回かはつかむことができるよ。ずっと地道に人の何倍もやっていると、まれに回ってきてくれる」である。これが、44年の人生で学んだことだ。

ここで、人の何倍も、と気軽に言ったが、だいたい僕のイメージだと3倍は必要だ。人の2倍やっている人はけっこういるからだ。

たとえば、テニスのサーブの練習を人が2時間やるのなら、4時間ではたいしたことはない。でも、6時間やれば大きな差になり、「そんな人はほとんどいない」レベルになる。勉強だって同じだ。単語帳の暗記を、2周するところ、4周やる人間はいるが、6周やる人はまずいない。

テニスラケットとボールを持ってコートに立って試合の準備
写真=iStock.com/PeopleImages
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僕は消化器外科専門医試験という、合格者の平均年齢が40歳の試験勉強を33歳の頃めちゃくちゃやった。これを覚えれば受かるという教科書を、本当に6周やった。試験会場では100分の試験を30分で解き終わり、一番に会場を出た。わからない問題はなかった。