尼子詮久は義隆と和睦せず、義隆が治める安芸へ軍勢を出した

義隆は慎重に熟慮したらしく、畿内では「尼子ハ大内方所縁事相決」(『大館常興日記』天文7年9月8日条)、「尼子事、大内ト令致参会、同時ニ可上洛由沙汰候」(『石山本願寺日記』天文9年4月20日条)という噂が流れていた。つまり、大内義隆と尼子詮久の間に縁談が持ち上がり、やがて2人が直接顔を合わせて、支え合いながら上洛するというシナリオが進んでいたようなのである。

だが、詮久は義隆たちの期待を裏切った。

安芸国への軍事行動を停止しなかったのである。このため、義隆は戦争を選んだ。まずは尼子家の進出で掻き回されている安芸国の平定である。