歴代の「瀬川」の短い生涯

この花の井は歴史上に実在した人物で、のちに前述の瀬川の名跡を継いだため、「五代目瀬川」と呼称される。この瀬川、初代から九代目までが伝えられている。

享保年間(1716~36)に名を馳せた初代瀬川は医者の娘で、武士に嫁いだが、夫が盗賊に殺害されたために遊女に身をやつしたという。その後、夫の敵討ちを見事に成し遂げたのち、尼になったといわれるが、そのあたりは史実であるかどうか定かではない。

著名な四代目が活躍したのは、ちょうど蔦屋重三郎の幼少期、つまり宝暦年間(1751~64)だった。下総(千葉県北部と茨城県南西部)の農民の生まれで、大変な才色兼備であったと伝わる。美貌が群を抜いていたのはもちろんのこと、三味線、浄瑠璃、笛太鼓、舞踊から、茶の湯、和歌、俳諧、果ては囲碁にすごろく、それに蹴鞠まで、まさになんでも来いという才女だったという。文才にもすぐれ、書も美しかった。