トヨタにはない日産車の良さ

かつての日産は、間違いなくトヨタの強力なライバルであった。「トヨタ・カローラ」には「サニー」を。「トヨタ・コロナ」には「ブルーバード」という風に、主力車種には対抗馬が必ず存在し、熾烈な争いを続けてきた。そして、日産には、独自の武器を持つクルマが存在した。その代表格が、スカイラインだろう。

スカイラインは、元々は日産が吸収合併したプリンス自動車の看板モデルであった。モータースポーツでの数々の金字塔はもちろん、初代から開発に携わり7代目終盤まで開発主査を務めたカリスマエンジニアの桜井眞一郎氏によるこだわりのクルマ作りが熱狂的なファンを生んだ。歴代モデルを乗り継いできたユーザーは多い。

画像提供=日産自動車
1972年発売の4代目スカイライン・C110型。「ケンメリ」の愛称で親しまれた。累計販売台数は66万台という大ヒットを記録した。

そのスカイラインに代表されるように、トヨタに数の勝負でこそ負けるが、定期的に乗り換えてくれる熱烈なファンを持つことこそが日産の強みだった。その魅力の根っことなっていたのは、運転して楽しいクルマにあったと筆者は考える。日産車は、常にどのモデルも走りの良さに定評があった。

そのクルマ作りを象徴するのが、1980年代から取り組みを始めた「901運動」だ。これは90年代までに運動性能で世界一の車づくりを目標とした運動だ。

飛ぶように売れた500万円超のスポーツカー

背景には、トヨタの高級車を中心とした「ハイソカーブーム」の影響で、ライバルに奪われたシェアの回復が狙いだった。

興味深いのは日産が行ったクルマ作りは、トヨタより豪華なクルマや流行最先端ではなく、ユーザーの心に響く走りの良さに注力したことだった。当時の日産の姿勢を物語っているといえよう。

901活動は、結果として多くの名車を送り出した。その代表格が、「初代シーマ」だ。バブル期に相応しい高級セダンながら、その走りは豪快そのもの。加速のよさが社会的に成功したクルマ好きたちを虜にしたのである。

さらに第2世代となるGT-Rが復活した。R32型スカイラインGT-Rは、国産車としてはトップクラスとなる500万円前後という価格帯ながら、1世代で4万台以上を売り上げた。

画像提供=日産自動車
8代目スカイライン・R32型は1989年に発売。画像の「GTS-t TypeM」は全国の走り屋を熱狂させただけでなく、一般のクルマ好きにも「手軽に楽しめる高性能GTカー」として人気を博した。これをベースに生まれた高性能モデルが、R32型GT-Rだ。

さらにはモータースポーツでは、全日本ツーリングカー選手権で、90年の初出場から93年まで29連勝という偉業を残している。

スポーツカー「シルビア」の全盛期もこの頃だ。発売当時は、その美しいスタイルからデートカーとしても重宝されたが、走り屋からも愛されたクルマである。

画像提供=日産自動車
「アートフォース・シルビア」のキャッチコピーとともに1988年に登場した5代目シルビア。美しいスタイリングとFR車ならではの走りの良さが評判に。

もちろん、大衆車でも手抜かりはない。FR車よりも走りが劣るとされてきたFF車も大きく進化させた。その代表格が初代「プリメーラ」だ。欧州車を強く意識して開発され、彼の地でも高い評価を得ている。またコンパクトカー「マーチ」も走りの良さで愛された一台だ。