2014年に俳優の高倉健さんはこの世を去った。葬儀は密葬で行われ大々的なお別れの会は開かれなかった。そこには本人の意思があった。ルポライターの谷充代さんによる『高倉健の図書係』(角川新書)より紹介する――。(第2回)

突如渡されたカセットテープの正体

映画『鉄道員』は、仕事一筋の人生を愚直に生き切る男の物語である。

当時、健さん68歳。

その撮影に入る前、私は一本のカセットテープを渡された。

その日はラジオ番組の打ち合わせで、帰りの車まで2人で並んで歩いていた時、「谷、これ!」と、突然のことだった。

私が「何ですか?」と尋ねると、

「俺の歌だよ。録音はしたけど、金にするつもりはない。
そう言ったらレコード会社の連中は困った顔をしていたよ」と笑った。

健さんの文字がカセットテープのラベルに記されている。

「対馬酒唄(ギター・バージョン)
一九九七年七月二日 二〇二スタジオ」

健さんのために書き下ろされた九州の男の歌で、渡されたのはレコーディング途中の「デモテープ」だった。

そして、

「大事に持っていてくれよ。俺が死んでから、みんなで聴いてくれ」

と言うのだ。

古いカセットテープ
写真=iStock.com/Piotr Adamowicz
※写真はイメージです

後輩役者に手渡した本

健さんの遺言歌『対馬酒唄』をみなさんに聴いて頂こうと強く思い立った時が、コロナの世界的な流行と重なっていた。

集いの計画が中止となり、幾度も電話を頂いたのが、健さんの弟分・俳優の小林稔侍さんである。

健さんとは東映ニューフェイスの先輩後輩の間柄だが、私生活でも親しく、何と50年もの間、家族よりも長い時間を過ごしてきたという。

近況を尋ねれば、

「健さんから貰った本をそばに置いてあります。“稔侍へ”とサインされた、『柳生武芸帳』です」

この本は歴代の時代劇俳優たちのバイブル的な一冊である。

時は三代将軍家光の時代、将軍家剣術指南役・柳生家に伝わる、それが世に出れば幕府の権威は失墜、再び戦乱の世に戻るほどの秘密が隠されているといわれる武芸帳を巡っての一大争奪戦。

名門の枠にはまりきらない異端児にして、剣術の達人、柳生十兵衛の活躍を描く歴史小説である。

「健さんはいつも本を読み、多くのことを学んでいましたねぇ。僕も倣わなければいけないと思ったんですよ。でもね、健さん、自分にはこの本は猫に小判でさぁ。はい、今もって反省しきりです」

ユーモアを交えながらも、健さんへの深い感謝が伝わってくる。

そしてあの『鉄道員』で見せた名調子で続けた。

「コロナが落ち着いたら、集まればいいよ。健さんは、『時を待て。無理をするなよ』そう言ってますよ」

励ましの言葉をくださった。