私から言わせれば、これでは勉強の中身はゼロに近い。問題集を1回解いた後、流すように解説を読んで、すべて頭に入るのは天才だけである。英語を勉強するとは「進歩すること」だ。そのためには、問題集は何冊もやるのではなく、同じ1冊を勉強しつくすべきである。その1冊の中に知らない単語や、聞き取れない文章がないように取り組む。「こんなのTOEICに出ないよ」という単語や表現もあるかもしれないが、学んだことは全くムダにはならないから、いま手元にある問題集を徹底的にやってみてほしい。

私自身は集中力が続かないタイプだ。だから「飽きたらやめる」主義だ。単語学習に飽きたら、リスニング。リスニングに飽きたら、リーディング……。ひとつの勉強に1時間かけることはまれで、せいぜい2、30分程度だ。

その代わりと言ってはなんだが、思いついたらすぐ勉強をするようにしている。意気込んで机に向かうことはない。そもそも私の家にはずっと机がない。家での勉強はいつも万年床の中。寝そべりながら英文を読み、「この単語の意味はなんだっけ」と辞書を手繰り寄せる。ときには気分転換のために近所の喫茶店や学習室も使う。移動しながら本も読むし、歩きながら辞書も引く。興味が湧いたときに学ぶのが、1番頭に入る。

あるとき、中年男性から「先生。今、中学生向けのラジオ講座を聞いて学んでいるんですよ。もう遅いですよね?」と恥ずかしそうに声をかけられたことがある。私はなんだか悔しくて泣きそうになった。
「このレベルは何歳までに」という枠組みは、学習塾やメディアが決めたもので、年齢と学習レベルは無関係のはずだ。

思えば私も遅かった。大学卒業後、洋書販売の営業マンとして働いていたが、営業センスがなく、成績はいつも目標の半分を達成できるかどうか。仕事がつらくなって34歳で退社し、貯金を取り崩しながら引きこもり生活を始めた。

何もしない苦しさから逃れるため、何かやろうと考えたとき、人生で最後に褒められたのが学生時代の語学だったことを思い出した。英語を勉強すれば将来に何か役立つかもしれない。でもたぶんムリだろう――。そんな葛藤を抱えながら英語学習を始めたのだ。