なぜ、慶應医学部は「頭の悪さの大切さ」を問うたのか

もう一つ人文系の小論文のテーマを挙げよう。こちらも24年度、慶應義塾大医学部が出したものだ。それは、夏目漱石の直弟子だった、文筆家で物理学者の寺田寅彦の随筆「科学者とあたま」を読み、「科学者は頭が良いと同時に頭が悪くなくてはいけない」ということに関して意見を述べよという内容だ。

実際の問題●慶應義塾大学
寺田寅彦「科学者とあたま」を読んで「科学者は頭が良いと同時に頭が悪くなくてはいけない」ということについて考えを述べる。(600字~700字/50分)
2018年6月13日、慶應義塾大学
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「頭がいい・悪いを二項対立ではなく、両立すべきものという矛盾するような筆者の考えをどう解釈して、自分のロジックを組み立てるのか。ポイントは、『頭が悪い』の定義です。『頭がいい』のはわかりやすい。あらゆる科学現象を分析し、一連の理論を構築する、正確かつ緻密な頭脳のことです。

では、『頭が悪い』ことが科学者になぜ必要なのか。寺田は『常識的にわかりきったと思われることで、(中略)何かしら不可解な疑点を認めそうしてその闡明せんめいに苦吟するということが、(中略)科学的研究に従事する者にはさらにいっそう重要必須』と言っています。

スピード重視の現代で、効率がいいことは是とされる中、それとは逆のスローな思考や熟考、別の視点などによって、人々の盲点や細かい見逃しに気づく可能性もある。常識とされることには、実は間違いも含まれているのではないか。

そうした批判的な精神を抱きつつ、自分が納得いくまで一つ一つ前に進む。そんな愚直な姿勢が同時に求められるということ、そしてさらには、自分の興味関心の向く領域に、時にむやみに、赤裸で飛び込んでいく『頭の悪さ』が必要だということを受験生に気づいてほしいのだと思います。

入学試験の得点だけを意識した、視野の狭い受験勉強のみに意を注ぐ人よりも、頭が悪くても情熱を持って勉強や仕事に打ち込める人を求めているのかもしれません」