貴公子たちとの恋愛を繰り広げ、恋の歌の名手として知られる和泉式部。古典文学研究者である木村朗子さんは「和泉式部は紫式部と同じく、藤原道長の長女・中宮彰子に仕えていた。『和泉式部日記』などに残された和歌のやりとりでは、道長とも恋愛関係にあったとも解釈できる」という――。

※本稿は、木村朗子『紫式部と男たち』(文春新書)の一部を再編集したものです。

大河ドラマ「光る君へ」(NHK)で和泉式部を演じる泉里香
写真=ゲッティ/共同通信イメージズ
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)で和泉式部を演じる泉里香、2019年4月2日

和泉式部と彼女を雇った道長は男女の仲だったか

和泉式部いずみしきぶが道長と恋人関係にある召人である気配は濃厚である。道長は彰子の父なのだから彰子サロンの女房たちと近いところにいて、しかも道長の采配で女房たちが雇われていたとすれば道長に気にいられる必要があった。中宮彰子しょうしサロンで花開いた文芸の才能というのは、和歌でいえば当意即妙なやりとりといったことも含んでいたわけだから、男女の仲らいと密接に関係することでもあった。

数々の浮き名を流し、恋歌の名手であった和泉式部に道長が興味を惹かれたとしても決して不思議ではない。和泉式部は、公の歌会にも招かれその才能を発揮していたことが『栄花えいが物語』からもわかる。

小倉百人一首56番・和泉式部「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」
小倉百人一首56番・和泉式部「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」(画像=「やまとうた」ウェブサイト/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

巻第13「ゆふしで」では、寛仁かんにん2(1018)年正月に彰子の産んだ後一条天皇が元服の祝いの品として絵にともなう和歌を寄せた屏風がつくられたことが書かれている。ここに道長の和歌とともに和泉式部の歌が選ばれている。

道長に「あなたを想っている」という歌を送った和泉式部

道長と近い関係にあったことは『和泉式部集』472番歌に道長が「尼になるといっていたけどどうしたの?」といってきたので送った歌というのが載ることからわかる。

あま舟に のりぞわづらふ 与謝よさの海に 生ひやはすらん 君をみるめは

海人あま舟にのるのをためらっている、与謝の海に生えているだろう海藻は、という歌。「海人」に「尼」が、海藻を意味する「海松布みるめ」と君を「見る目」がかけられていて、あなたを思って尼になるのをためらっているという意味になる。

和泉式部続集ぞくしゅう』953番歌には別に「なほ尼にやなりなまし、と思ひ立つにも」と詞書ことばがきがついた次の歌がある。

捨はてんと 思ふさへこそ 悲しけれ 君に馴れにし 我が身と思へば

出家してこの世を捨ててしまおうと思うだけで悲しくなる、あなたに馴染んだ我が身なのだと思うと、という歌。この歌は、和泉式部が(恋愛関係だった)敦道あつみち親王の死後に挽歌つまり追悼歌として詠んだ歌とされているが、「なほ尼にやなりなまし」の「なほ」がそれでもなお、という意味だとすると、「尼になるといっていたけど、どうしたの?」と問いかけてきた人へのさらなる返答にもみえる。すると「君に馴れにし我が身」の「君」は敦道親王ではなくて、問いかけてきた道長ではないかという気もしてくる。

藤原道長
藤原道長(画像=東京国立博物館編『日本国宝展』読売新聞社/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons