中国の影響以上にアメリカでは日々仕事が失われている

批判者たちは、中国からの輸入品との競争で2000年から2015年にわたり、毎年アメリカ人の職が13万件ずつ失われたと述べる。これはかなりの数に思えるが、同じ時期にアメリカ経済から消えた6000万件の職と比べると大したことはない。そうした職の喪失のうち2000万件は非自発的、つまり会社の閉鎖や移転、リストラのせいだ。つまり中国の仕事で消えた職の150倍くらいは、まったくちがう理由で失われたということだ。

だがなぜだかみんな、他の150人の失業よりもそのたった1人の失業者ばかりあげつらう。ひょっとしたらそれは、グローバル資本主義は収奪的だというお話に都合がいいから、というだけではないのか?

だがその大きな数――150――は、失業は常にあることを明らかにしている。技術は変わり、自動化する仕事もあり、必要な技能も変わる。人々は移転し、購買力もいっしょに移転する。消費者は絶えず需要を変える。いきなり、みんな旅行代理店に向かうよりオンラインで自分で旅行を手配しようとする。映画の消費はもうビデオテープ生産を必要としなくなる。ある日、朝にニュースを読むのにあまり製紙工場はいらないと気がつく。

仕事を奪う代わりに、もっとよい仕事を与えてくれる

仕事は常に消える。決めねばならないのは、古い消えゆく産業をすべて温存しようとして、生産性と富が劣った弱い状況で消える仕事に直面するのか、それとも構造改革して、新しく競争的な産業で人を雇えるリソースや拡大する産業を持った、強い状況でそれに立ち向かうか、ということだ。

後者を選ぶなら、国際貿易ほど優れた仲間はなかなか想像できない。絶えず手法をアップグレードし、得意なことに特化できるようにしてくれるから、絶えず失ったものよりもよい仕事を生み出せるのだ。

毎年、アメリカでは6000万の職が失われ、それ以上の新しい仕事が毎年生み出される。そしてその新しい職を生んでいるのはだれか? 答はかなり予想外だ。それは中国からの輸入に最もさらされている企業なのだ。彼らは職を失うが、競争への対応として自分がもっと大きな価値を生み出せる分野に特化するのだ。

最近の研究では、中国の輸入に直面した企業は他の企業に比べて、年率2%も多く雇用を拡大したという。新しくできたのは同じ職ではない、と批判する人も多い。その通り。もっとよい職なのだ。

それは付加価値が高い、賃金が高い製造業職や、補助的なサービス業、たとえばエンジニアリング、デザイン、研究開発、マーケティングなどの分野だ。だから「中国が仕事を奪った」のが正しいなら、かわりにもっとよい仕事をくれたというのも事実なのだ。