「地元進学はまずい」と慶應義塾高へ

中学校に入るころは、大学紛争といって、大学生たちが活発に政治活動をしている時代だったんです。日米安全保障条約反対を掲げる、非常に過激な学生運動があった時代です。中学生でも、政治への関心が高い子どもたちは、権力に対して反対する雰囲気がありました。

知事は権力の象徴みたいなものですから、知事の子どもとしては、非常に居心地が悪かったですね。知事の息子というプレッシャーを感じつつ、このままの環境にいていいのかなという思いがありました。

鳥取県の町並み
写真=iStock.com/Sean Pavone
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比較的素直な子でしたから、勉強はきちんとしていましたが、中学3年生の時に、「このまま地元の高校に進学するのはまずいかもしれない」と私自身も思いました。母親も、このまま地元の県立高校で厳しい環境にいたら、私が不良になるんじゃないかと思ったんでしょうね。だから、高校は、東京の慶應義塾高等学校に行ったんです。

立派な政治家である父を超えるのは難しい

子どものころは、学校の先生になりたかったんです。

人に教えることが楽しいと思ったし、学校の先生が主人公のテレビドラマや漫画の影響もありました。私の母親は、東京女子大を出て、結婚するまで国語の先生をしていました。父親が戦争に行っていたころは、再び学校の先生をして生計を立てていました。年の離れた2人の姉もそれぞれ英語と歴史の先生で、教員の多い環境で育ったんです。

そうしたまわりの環境もあって学校の先生になりたいと思っていましたが、そのころの多くの男の子たちと同じように、電車の運転手やパイロットになりたいとも思っていました。

中学生のころは、父親を見ていて、「政治家というのは、あまりいい仕事ではない」と思っていました。プライベートの時間はほとんどないし、もちろん土曜日も日曜日もない。そんなにお金が儲かるわけでもないし、あまり割のいい仕事ではないと感じたんです。

それに、子どもの私がこんなことを言うのは変ですが、私の父親は非常に立派な政治家でしたから、とても父親を超えることはできないと思ったんです。政治家は立派な仕事だ、価値のある仕事だとは思いましたが、自分がふさわしいとは思わなかったですね。あまりに立派な父親をもつと、超えるのが難しいと思ってしまうものなんですね。