神社の祭りやメーデー、夏祭りは島をあげて盛り上がった

軍艦島では、神社の祭りやメーデー、夏祭り、運動会、文化祭など、行事はすべて全島をあげて盛大に行われていた。中でも毎年4月3日に行われた、大山祇神を祀る「山神祭」は、島民にとって最も重要な祭りだった。ヤマの神である大山祇神を祀る端島神社は、常に危険と隣り合わせで働いている炭鉱員や、その家族にとっての心の拠りどころだった。祭りの日は、神主の祈祷を受けた神輿を大人たちが担ぎ、島内を練り歩いた。

そのあとを子どもたちが担ぐ樽神輿がついてゆく。笛や太鼓の音色に、担ぎ手の威勢のよい掛け声が響き渡り、朝から島内は大盛り上がり。24時間フル稼働で行われていた坑内での仕事も、この日ばかりは休みとなったそうだ。午後になると、女性は奉納踊りを、子どもは相撲大会などの各種催し物も行われた。

1954年(昭和29)の山神祭。端島神社から山車を担いで下る
提供=端島小中学校同窓会
1954年(昭和29)の山神祭。端島神社から山車を担いで下る

全島民が参加していた盆踊り、島民オリジナルの「端島音頭」

毎年5月1日に世界各地で行われている労働者の祭典「メーデー」も、軍艦島の一大イベント。島民のほとんどが主催の端島労働組合関係者だったため、みんなが楽しみにしていたという。前夜祭ではダンスパーティや歌合戦、時にはラジオを真似た「部会対抗ラジオ人気番組大会」などが行われ、これもまた大盛り上がりだった。当日は、迷路のように入り組んだ坂道や、恐ろしく長い「地獄段」などを、時には家族連れでデモ行進をして集会が行われた。狭い島内を、声を上げながら練り歩く様子は圧巻だったという。

夏がくれば、盆踊りだ。定番だった『端島音頭』は、作詞・作曲・振り付けすべてが島民によるもの。名調子に乗って7番まである歌詞には、島の心象風景が盛り込まれていて、当時の様子をうかがい知ることができる。