10代将軍家治は祖父の名君・吉宗にかわいがられて育った
家治の生まれた頃(1737年)には、祖父の吉宗は未だ健在でした(吉宗は1751年に病没)。吉宗は初孫誕生を大いに喜び、家治(幼名は竹千代)を身近において育てます。
家治の父・家重は言語に障害があったようで、その言葉を理解できたのは、側近の大岡忠光のみだったと言われています。さらに、家重は酒色に溺れたともされます。そうした状況でしたので、吉宗は家重に将軍職を譲った後も大御所として、死ぬまで実権を握り続けたのでした。
吉宗はわが子の家重に孫(家治)の養育を任せていたら、とんでもないことになると思い、自らの手元に置いたのかもしれません。家治は幼少の頃、聡明だったようで、吉宗はそれを喜び、政治の要諦を教えたとのこと(徳川幕府が編纂した徳川家の歴史書『徳川実紀』)。家治も祖父の期待によく応えて、和漢の書籍を広く読み、歴代の事績をよく暗記していました。吉宗が病となった際には、湯薬を自ら勧めたという家治。吉宗が亡くなったときには、深く慟哭したという家治。その様子を見て、周りの者は感動したようです。吉宗と家治の関係性がよく分かる逸話です。
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