一条天皇を動かしたふたつの要素
その後、一条天皇は藤原道長(柄本佑)に、「左大臣、御嶽詣でのご利益はあったのか?」と尋ねた。御嶽詣でとは、道長が長女の彰子の懐妊を願って、危険を冒してまで金峯山に参詣したことを指している。道長が「まだわかりません」と答えると、一条は「今宵、藤壺(註・彰子の後宮)に参る。その旨伝えよ」と告げた。
つまり、一条天皇は道長の必死の御嶽詣でと彰子の告白を受けて、彰子と夜の営みをする決意をし、その予定を告げた。これはそういうシーンだった。寛弘4年(1007)も暮れに近づいている時期のことである。
こうして彰子は、史実として年内に懐妊し、翌寛弘5年(1008)9月11日、ついに道長の念願だった皇子、敦成親王(のちの後一条天皇)を出産する。
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