ガン宣告を受けたときの衝撃は計り知れない。だが、その辛さの中で現実を受け止めることができたなら、「残りの人生、いかに生きるべきか」という問いに対する新たな知恵を獲得できて、命の再出発を切れるはずだ。

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ガンと知って最初に恐れを感じるのはやはり「死」

そんなときの指針になるのが「背暗向明」である。これはお大師様(弘法大師空海)が説いておられることで、暗いことには背を向け、明るい方を向いて生きようという考え方だ。どん底のときに明るい方向を見つけるのは至難の業だが、その方法はある。

それは、「あなたを絶対に治すのだ」という強い気持ちで治療に取り組んでくれる医師を見つけることだ。僧侶など宗教者の中にも、生きる希望を導き出してくれるような人がいるので、そういう人を探すのも1つの方法であろう。

そういう医師や宗教者に巡りあえれば、「治るかもしれない!」という希望が湧いてくるはずだ。すると免疫力もアップし、医師の余命宣告よりも長く生きられたり、ときにはガンの悪化を防げたりする人もいる。

「向明」ができたら、次は自分の智慧、つまり自分が持つ知識や考え、能力を燃やし尽くすことを考えてほしい。

今でも忘れられない青年がいる。それは篠原健君という慶応大学の学生さんである。彼は末期ガンに侵されていたのだが、大学4年のとき、人生の最期を私の寺で送りたいという本人の希望で、2カ月近く護摩行に臨んだ。この護摩行は健康な人でもついてくることのできない人が出るほど厳しいものだったが、頑張り抜いた。

その年は1999年で、ジャイアンツの清原和博選手や広島カープの金本知憲選手(=当時)も修行に来ていたのだが、日頃鍛え抜いている彼らでさえも篠原君の頑張りに心を打たれ、自然に頭を垂れた。そして両選手は力を与えられ、その後も活躍を続けた。篠原君は仏様からいただいた智慧を行によって燃やし尽くし、周囲の人の心にその姿を刻んだのである。

ガンに侵されると「なぜもっと早くガンを発見してくれなかったのか」などと、医師に恨み言の1つも言いたくなるが、彼は愚痴1つ言わずに息を引き取った。尊いことだ。