「推し」も欲望の一つのかたち

【菅野】そういう時代背景があるとすると、いまの時代は、たとえ苦しくても母と離れるのは、かなり困難ですよね。自分の「欲望」を見つけ、親以外の価値観に出合うにはどうしたらいいのでしょうか。

【三宅】大学生たちを見ていると「推し」のようなものが流行はやっていますし、「自分の好きなものを大事にする」という感覚を持つ若者は昔より増えている気がします。まずは趣味などを通して家族の外側に自分のやりたいことを見つけるのがよいのではないでしょうか。

【菅野】「推し」も欲望の一つのかたちということですね。

【三宅】そうだと思います。自分の好きなことを突き詰めていくと親と対立することもしばしばありますし、それがきっかけで実家を出たいと考えるようになるのはとても健全なことだと思うんです。たとえ一人暮らしをしていなくても、母以外の他者と出会い、精神的に他者を入れ込むことが自覚的にできるといいのではないでしょうか。

「友だちになるか」「虐待するか」の二者択一

【菅野】「母親が相談相手」という人が増えているように、母娘を取り巻く状況は時代によって大きく変わってきていると思います。

先日お話をうかがった精神科医の斎藤環先生は、潜在的に存在していた母娘問題が一気に噴出してきたのが1990年代で、2000年代以降はむしろ母が娘を支配するという発想が希薄になり、「友だちになるか」と「虐待するか」の二者択一になってきたとおっしゃっていました。それは、それできつい気がします。

【三宅】斎藤環先生や臨床心理士の信田さよ子先生、社会学者の上野千鶴子先生が、「女性たちの間に存在する母娘問題」を発信していたのが2000年代以降だったと思います。

【菅野】三宅さんは、漫画や小説などのフィクションで母と娘の葛藤がどのように描かれてきたのかをご著書『娘が母を殺すには?』で年代ごとに整理されています。フィクションの世界では、70年代くらいから現代にかけて描かれ方はどう変化していったのでしょうか。

【三宅】母娘の問題は少女漫画や小説のかたちでこれまでずっと描かれてはきたのですが、1990年代までは「娘が母を嫌悪する」というより、「葛藤はあるが、どうしたらいいかわからない」といった話のほうが多かったと感じています。

2000年代以降、特に2010年代は母と娘をテーマにした作品が増えています。フィクションにおいては、近年のほうが母娘の問題を表立って言いやすくなったという印象があります。