目に見えていない「相続」もある

「実家じまい」の出口は、結局のところ、売却するか取り壊すかになると述べました。しかし、幼い頃からの思い出が詰まっている家を取り壊したり、親がよく使っていた遺品を捨てることに対して、寂しい思いをしたり、申し訳なく思ったりする人もあるでしょう。

しかし、形のあるものにこだわっていると、いつまでも前に進めません。実家の問題を解決することができないのです。

確かに、そう簡単に割り切れるものではないでしょう。では、こう考えたらどうでしょうか。「親から受け継いできたのは、形あるものだけでない」と考えるのです。

相続財産というと、ほとんどの方は、土地や家屋、預貯金や株式などを連想するでしょう。相続は、そうした形あるものを亡き人から受け継ぐことであり、単なるお金のやりとりだと思っている人もいるかもしれません。

しかし、それは誤解です。金銭に換算できる財産を受け継ぐことだけが相続ではありません。亡き人の心や意思、さらには文化や思想、人間性といった目に見えない資産を受け継ぐこともまた相続なのです。

それは、「相続」という字を見ればおわかりになると思います。

相続の「相」という字は、「人相」「面相」というときの「相」で、「姿」という意味があります。その「相」を「続」ける──つまり、亡き人の姿を続けていこうというのが相続なのです。

「実家」という形にこだわる必要はない

ただ、亡き人の姿を続けていくためには、物質的・金銭的な資産も必要です。例えば、親の商売を継ぐには、その基盤となる土地や店舗も引き継ぐ必要があります。

天野隆、天野大輔『【最新版】やってはいけない「実家」の相続』(青春出版社)
天野隆、天野大輔『【最新版】やってはいけない「実家」の相続』(青春出版社)

また、「子どもには平和で穏やかな生活を送ってほしい」という親の意思を実現するには、最低限の資産があったほうがいいでしょう。不動産や預貯金を相続するという行為の根本には、そうした親の思いを理解して引き継ぐという意味があるのです。

「財産遺して銅メダル、思い出遺して銀メダル、生き方遺して金メダル」これは、あるお客様がおっしゃった言葉です。

私たちは、どうしても「実家」という思い出の詰まった建物にこだわりがちです。ですから、誰も住まなくなっても、実家を売る踏ん切りがつきません。

実家を売ってしまったら、家族の思い出だけでなく、親の思いまでもがこの世から消えてなくなるような気がしてしまうからです。

しかし、「相続」には、土地や財産を受け継ぐという「金銭的な意味」だけでなく、「相」を「続」けるという「精神的な意味」も含まれているのです。

いや、むしろ相続の本質はそこにあるのではないでしょうか。亡き人の生き方や考え方を胸に刻んで、よい相続ができるように努めること。それが、遺された人の最も大切な役目だと思うのです。

「相続」とは親の意思を続けることです。そう考えれば、「実家」という形にこだわる必要はありません。極端なことを言えば、形あるものにこだわることなく、自分の心のなかに親の思いを継いでいけばいいのです。

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