これまでの介護は「私の自己満足」だった

「それって介護者の自己満足でしょ」

高橋秀実『おやじはニーチェ』(新潮社)
髙橋秀実『おやじはニーチェ』(新潮社)

いきなり否定され、私は絶句した。

「決して本人の満足じゃない」

あらためて振り返ってみると、例えば私は父に「テーブルを拭いておいて」などとお願いする。すると父は床を拭く雑巾でテーブルを拭いてしまい、私がすべてやり直すことになる。父はそれをじっと見ていたので、おそらく「できる」ことではなく、「できない」ことを思い知らせただけなのだろう。

テーブルを雑巾ではなくウェットティッシュで拭かせるために、ウェットティッシュを手に持たせ、私が「こうやって拭いてね」と少し実演してみせたこともあったが、父は「わかった」とうなずき、ウェットティッシュで折り紙のような作業を始めた。それを持たせ、私が手を添えてテーブルを拭き、一応「ありがとう」と感謝したのだが、父からすれば何に対する感謝なのかわからず、むしろ屈辱を味わっていたのかもしれない。

むしろ「邪魔だから休んでいてね」と言ったほうがお互いすっきりするし、父も役に立てたような気がするのかもしれない。

「お父さんはただボケてるだけ」

――でも、まあ、おやじはいかんせん認知症だからね。

私がつぶやくと、妻がさらりとこう言った。

「お父さんは認知症じゃないわよ」
――そうなの?
「ボケてるだけでしょ」

「認知症」はあくまで行政用語。親子のことを社会問題にすり替えるな。「ボケてるだけ」とは自分の親としてきちんと向き合うべきだという愛の宣言なのである。

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