認知症であっても「人として真摯に接したい」

――ちょっと見てくるから。

父にそう言い残して、私は2階へ上がった。そして妻の前に正座し、父のあまりにしつこい問題行動をお詫びした。どうしようもない父ですみません、と頭を下げたのだが、彼女は「そういうことじゃないのよ」と首を振った。

「私は人として真摯しんしに接したい。お父さんに敬意を払うべきでしょ。親なんだから」

ダメなことはダメと言うべき。なんでもかんでも肯定するのは失礼だというのである。母も父に対して「そうじゃなくて、こうでしょ!」と否定しまくっていたようだが、否定されることで行動が制御されていたともいえる。大体、父自身も自分のしていることが正しいとは思っておらず、否定されることで安心していた節がある。

「だから私はお父さんにかまわない」
――かまわない?
「お母さんは本当にずっとかまっていたでしょ。お母さんは否定することで生きるパワーを与えていた。否定するほうも疲れるのよ。でも絶対にあきらめなかった。愛していたのね。そのお母さんの不在を思い知ってほしい。私はお母さんじゃないから」
――それで手伝いも断るわけ?

掃除
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認知症介護では「できることを奪わない」のがセオリー

父は何度も「手伝おうか?」と繰り返していた。通常、認知症介護は「『認知症だから』と何もかも家族がやってしまうことはやめましょう。認知症患者からできることを奪ってはいけないのです」(井桁之総著『認知症 ありのままを認め、そのこころを知る』論創社 2020年 以下同)とされる。「手伝おうか?」と言われたら、どんどん手伝ってもらう。自分でできる、自分にはやることがある、と実感することが生きるよろこびにつながるとされているのだ。

実際、私も父にできることを考える。何かできそうなことがあれば、それをやってもらい、それに対して感謝したりなんかすると、ハッピーな気持ちになるのではないかと。逆に「患者の行動に対して『違う!』『そうじゃなくて、こうでしょ!』と冷たい言葉を浴びせると、認知症患者は周囲の反応に驚き、自分ではなく周囲が誤作動を起こしたと感じるのです」という。周囲の誤作動に苛まれることになるので、たとえ失敗しても「『失敗してしまった』と思わせない配慮が必要」だというのだ。