亡くなる前にもう一度両親の墓参りをしたい
病気が重くなり動けなくなりますと、人は若い頃を追憶し、故郷に帰りたいという想いが強くなるようです。
亡くなる1週間くらい前、人によってはもっと前から、少なからぬ人にせん妄という混乱が生じます。現状の認識が困難になり、時間や場所の感覚があいまいになるのです。
そのような混乱の最中に、昔のことを語りだす人が少なからずいます。昔と今を取り違えてしまっているのです。息子を父だと勘違いしたり、妻を母と勘違いしたりすることもあります。
私は、100歳近い女性患者さんに「お父さん」と泣き叫ばれて抱きつかれたこともあります。彼女は私に、父の姿をみたのでしょうか。
そういった患者さんたちの様子をみるにつけ、幼い頃の記憶というのはいかに強固に心に残っているか思い知らされます。人は意識していなくても、心の奥底には、幼少期に住んでいた場所、そこで共に生きた人々のことが記憶として刻まれているのでしょう。
死ぬ前に「故郷に帰りたい」「両親の墓参りをしたい」という想いを強くする人もいます。
余命が週単位と思われるほど衰弱した、70代の女性患者さんがいました。
その方は望郷の想いから、なんと飛行機に乗って1000km以上も離れている故郷に帰ったのです。これが最後だと知ったうえでの、文字通り覚悟の旅でした。
彼女は故郷に眠る父母の墓に手を合わせたそうです。また兄弟と忌憚なく笑い合い、心の中ではっきりと別れを告げたそうです。
そのうえでよろめく体を奮い立たせて、また1000km以上もの飛行機の旅をして、帰ってきました。
もはやまともに歩くのも困難なほどの状態でしたから、この往復は奇跡的な旅路だといえると思います。
しかし、その後に起こったことこそが、奇跡と呼ぶべきでしょう。
死出への道となると思われた旅は、予想もしない未来を切り開くことになったのです。なんと彼女は、その後1年近く生きたのです。旅立つ前に、複数の医師から余命が週単位の可能性が十分あると診断されたのに。
余命わずかと知ったとき、彼女の中に強い衝動として生まれたのは、遠く離れた故郷に帰り、今は亡き両親に挨拶に行くことだったのです。そのとき、彼女の体に、力強い命の杭が打たれたといえるでしょう。
自分の成り立ち、自分のつながり、それらを取り戻すことは、明らかに生命力に息吹を吹き込むことになる。それを実感させられました。