読書が好きな子どもに育てるにはどうすればいいか。昭和女子大学総長の坂東眞理子さんは「私の場合、子どものころに特に親から指導されず、本が十分になかったから本好きになったと思う。一方、私に『この本を読んだら』とたくさんすすめられた娘たちは、残念ながら本好きにはならなかった」という――。

※本稿は、坂東眞理子『人は本に育てられる』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

図書館、テーブル上の本
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『即興詩人』がなぜか心に残っている

小学校の3、4年生ごろからでしょうか、学校の図書室に行かなくても家にも読める本が多数あるのに気が付きました。芥川龍之介、夏目漱石、森鷗外などの古くて少しかび臭い、漢字まじりの字がぎっしり書かれた本が土蔵にありました。これは1941年夏に中国で戦死した叔父の義雄さん、父の弟の残した本だったようです。

芥川龍之介の『杜子春』や『蜘蛛の糸』のような子供向けの短編小説は教科書にも載っていましたが、有名な『羅生門』や『地獄変』『或阿呆の一生』などは深く理解できていなかったはずながらも、蔵の本で読んだという記憶とストーリーだけはおぼえています。

夏目漱石の『坊っちゃん』は面白く読みましたが、『こころ』『三四郎』などの青春小説は読んだにしろ、小学生としてどこまで理解していたか、疑わしいものです。『吾輩は猫である』『それから』『』は読んでみましたが面白くありませんでした。

森鷗外も『山椒大夫』や『』は面白く読みました。文語で書かれた『舞姫』や、史伝はまだ歯が立ちませんでしたが読んだ記憶だけはあります。文語訳のアンデルセンの『即興詩人』はなぜか心に残っています。誰が残したか吉川英治の『鳴門秘帖』など挿絵入りの本もたくさんありました。

自分の血肉になっている百人一首の和歌

また母が数少ない愛読書として実家から持ってきたもので、国文の授業で教科書として使った金子元臣さん監修の挿絵入りの厚い『源氏物語』の三巻本もありました。

へーこれがあの有名な『源氏物語』かと、冒頭の「いずれのおおんときにか、女御、更衣あまたさぶらいたまいける中に、いとやんごとなききわにはあらぬが……」をたどりましたが、もちろん意味もわかりませんでした。それに比べれば『平家物語』は漢字にカナが振ってあるテキストだったこともあり、「祇園精舎の鐘の声……」と口調もよく記憶していました。

小学校の低学年のころからお正月に姉たちと百人一首をしました。上の句、下の句は全部覚えていても札がどこにあるかわからず、競技かるたのように取るのが速かったわけではありませんが、いつも一番多く札を取っては得意になっていました。幼いころに覚えた百人一首の和歌は自分の血肉になっていて、今でもふと口ずさみます。

中学生のころには『万葉集』『古今和歌集』を読み通すことはできませんでしたが、たまに百人一首で知っていた歌人の歌を見るとうれしく、時に心ひかれる歌をメモしたり、解説書を読んだりしていました。