試験の前ほど本が読みたくなる「悪癖」

高校に進学するとさらに大部の本も読むようになり、今ではとても読む気のしないほど長いロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』、ショーロホフ『静かなドン』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、ロマン・ローラン『魅せられたる魂』などを読みました。

本当は試験に備える勉強や受験勉強をしなければならないのに、こんなに本を読んでいてはいけない、もっと生産的な活動をすべきだと罪悪感にとらわれながらも、試験の前ほど本が読みたくなるという悪癖から脱することができませんでした。

世界観・社会観を形作るうえで影響を受けた本は世界文学だけでなく、日本文学も明治大正時代の漱石、鷗外、龍之介といった作家以外では谷崎潤一郎、吉川英治なども読みましたが、私小説や自然主義派の小説はあまり魅力を感じませんでした。

日本の小説は大正から戦前のものも含め、田山花袋の『田舎教師』、林芙美子の『放浪記』なども読みましたが、ほとんど感動しませんでした。視野の狭さ、身辺の些細なことばかり描写してこの人は何が言いたいのか、という感じで興味をひかれませんでした。

手塚治虫の描くキャラクターに鼓舞された

どうも日本の純文学はこうした身辺の狭い世界を精緻に描いたものが多く、それが文学賞などでも高く評価されています。大きな世界観や歴史観を反映した大河小説などは大衆系、娯楽系と一段低く見る風潮があるのは残念だなと思います。

人間の劣っているところ、醜いところに共感し受け入れるより、志を持ち困難に負けない人間を描く小説は翻訳もののほうが多かったように思います。むしろ手塚治虫の漫画が壮大な世界観、人間観を描いて魅力的でした。困難な状況の中でも理想に向けて努力する、壮大な歴史の流れに関与する人間像が、若い私を鼓舞する材料でした。

またそうした名作の原本は子供向けにリライトされたものよりよほど内容が充実しており、ストーリーだけでなく、作家の該博な知識、人生観、歴史観なども反映し、自分自身の世界観、社会観を形作るうえでも影響を受けました。

本棚で本を選ぶ少女
写真=iStock.com/Hakase_
※写真はイメージです

私にとってフランス革命はシュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』、ナポレオン戦争は『戦争と平和』で理解し、第一次世界大戦は『チボー家の人々』から学びました。そうした意味で19世紀的教養主義の残像の雰囲気に影響されていたのでしょう。まだカミュやサルトルなどの現代文学には触れる機会がありませんでした。