男性に比べて女性の偉人伝が少なすぎる
このような日本古典に加え、母が好きだった樋口一葉や与謝野晶子などの伝記も、家にあった本は繰り返し読みました。平塚らいてうや津田梅子でなく与謝野晶子だったのは母の影響でしょう。
女性の偉人伝といえば子供のころに読んだのはキュリー夫人、ナイチンゲール、それに紫式部、清少納言でしょうか。もちろん彼女たちの伝記も読みましたが、それよりナポレオン、ベートーベン、シーザーやアレキサンダー大王、あるいは中国の秦の始皇帝や劉邦、項羽、孔明など、多く読んだのは圧倒的に男性の英雄たちの伝記でした。
女性の偉人伝は少なく、大学生になってやっと持統天皇の伝記を読みました。北条政子なども私が読んだものでは源頼朝の妻としてだけ描かれていました。クレオパトラも楊貴妃も英雄の恋人、妻として有名で、本人が何をしたという業績は知りませんでした。今の子供たちには、私たちの世代よりもっと女性の偉人伝に触れることができるよう期待します。
学校の教科書も授業で使わなければ魅力的な読み物だったように、高校生だった姉たちの日本史や世界史などの歴史の教科書は網羅的、体系的に記述されており個人個人の偉人が歴史の中でどう位置付けられるのかがわかって、とても役に立ちました。自分の歴史観の骨格は姉たちの高校教科書によって形作られたような気がします。
自分が読んでいない本がまだ山のようにある
手当たり次第、活字の書かれた本なら何でもよいとばかりに読んでいた小学生時代から中学校に進学すると、世の中が落ち着いてきたこともあり、学校の図書室が充実してきました。
世の中には山のように本があり、自分が読んでいるのはそのうちのほんの一部なのだ、とわかってきました。また町立の図書館が公民館の一角にオープンし、そちらも大人の小説がたくさんあり、いつの間にか貸本屋には行かなくなり、図書館の本を読むのが中心になりました。
中学校の3年ごろから発行された中央公論社(当時)の緑色のハードカバーの「世界の歴史」シリーズは読み物としても興味深く書いてあり、繰り返し読みました。しばらくのちには茶色のハードカバーの「日本の歴史」シリーズも刊行され、それもかなり愛読しましたが、大学生になってからのことです。