大谷翔平選手は「取りこぼす」なんて言葉を使わない

アメリカ・メジャーリーグの大谷翔平選手がNHKのインタビューにおいて「前回は下位のチーム相手に取りこぼしましたが」と質問された。すると、大谷選手は「取りこぼすという表現が適切かどうかわかりませんが」と、サラリと否定して話を続けた。

これは大谷選手が人格者であり、相手チームに敬意を払っていることがうかがい知れるエピソードだが、それだけではない。

おそらく彼は「取りこぼす」なんて言葉を使わないと決めているのだろう。

それを使うとそれが思考となり、行動になる。勝って当たり前という舐めた態度に出るかもしれない。それを理解しているのだ。自分の中で明確な線引きができているのだろう。

断絶の言葉を使わないことは少なくとも自分の中で自分の感情に丁寧に向き合う行為である。そのような生き方をしていくべきだし、可能ならば誰かの感情にも丁寧に思いを馳せるべきなのだ。

「鉄道オタク」という言葉は絶対に使わない

SPOTという旅行サイトに寄稿した「青春18きっぷで日本縦断。丸5日間、14,150円で最南端の鹿児島から稚内まで行ってみた」という文章がある。

JR最南端の駅から最北端の駅まで、普通列車だけで日本縦断する狂気としか思えない記事だ。この中に不可解な単語が出てくる。その部分を引用してみよう。

「ここから川内へと行く列車は1時間ほどの乗り換え時間があって8時29分発。まあ、これが正解だ、これで行こうと決意して掲示板を眺めていると、むちゃくちゃ鉄道に詳しそうな剛の者っぽい人に話しかけられた。」

ここで「ごうの者」という言葉がでてくる。実は僕の旅行系の記事は、この「剛の者」という表現が多用される。その「剛の者」がいちばん初めにでてきたのがこの記事だ。読んでもらえばわかると思うけど、これは鉄道に詳しい人を表している。「鉄オタ」「鉄道オタク」「乗り鉄」みたいな人を指す意味合いに思ってもらえればいい。

僕の文章において、この「鉄オタ」みたいな単語はほとんどといっていいほど出てこない。意図して使っていないというやつだ。これらを使わずにすべて「剛の者」で統一している。

蒸気機関車銀河列車(SL銀河)の最後の歴史的走行
写真=iStock.com/petesphotography
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校正が入っても「剛の者」を使い続ける

ここで問題となるのが「剛の者」は普通に鉄道が好きな人を指す言葉ではないので独自の表現であり、受け取り手を選ぶ言葉だということだ。

つまり、前述した「内輪感」が出てしまう文章なので本来は好ましくない。意味としても正しくないので出版社なら校正が入る場所だろう。実際に修正されたこともある。それでも僕は頑なに「剛の者」を使い続ける。