報道に潜むジェンダー・バイアスが男子の性被害を矮小化する

第二の問題点は、報道に潜むジェンダー・バイアスが男子生徒の性被害を矮小化したことだ。例え、最初は生徒から誘ってきたとしても、仮に教師が34歳の男性で、相手が13歳の女の子だったら、マスコミはその教師を糾弾し、2人をラブストーリーとして何年も追いかけなかっただろう。本来なら、男子生徒は“守られるべき”子どもだったのに、男の子だから彼の被害は“なかったこと”にされた。

結局、2020年、58歳にして女性教師はガンで死去したが、彼らの物語はこのたび映画化されている。映画は実際の事件をそのまま映画化したのではなく、脚色されている。

その最新作は、7月12日に公開される、『メイ・ディセンバー ゆれる真実』。この映画は今年のアカデミー賞脚本賞にノミネートされた。

映画『メイ・ディセンバー ゆれる真実』ポスタービジュアル
画像提供=HAPPINET CORPORATION
映画『メイ・ディセンバー ゆれる真実』ポスタービジュアル

『メイ・ディセンバー ゆれる真実』が描くもの

映画のタイトル『メイ・ディセンバー』は若さ=春(May 5月)と老い=冬(December 12月)を表現しており、脚本家のサミー・バーチが年の離れたリレーションシップを象徴するものとして名づけたものだという。

ナタリー・ポートマン演じる女優エリザベスが、23年前に13歳の少年と性的関係をもち逮捕されて獄中出産し、今はその少年(ジョー)と結婚して幸せに暮らしているグレイシー(ジュリアン・ムーア)に会いに行く。美しいがどこか恐ろしい旋律、視覚的なメタファー、サバンナのつややかな自然や淡い色の衣装が盛り込まれ、物語はサスペンス調で進む。

非常に興味深いのは、この映画が、少年と女性の関係を「レイプか純愛か」と追及せず、2人の事件が世間にどのように消費されたのか、またそれが2人にどのように影響を与えたのかに焦点を当てた点だ。

例えば、エリザベスはマスコミのメタファーとも言えるだろう。エリザベスの目を通して私たちはグレイシーとジョーの世界に入りこんでいく。最初は傍観者だったエリザべスは2人に近づき、彼らの内面をさらけ出そうとする。そしてエリザベスは、グレイシーと同化していき、2人の世界に影響し始めるのだ。

けれども、エリザべスは自分が真相に近づいたと思うたびに、自分の考察がひとりよがりなものであることに気づく。この映画は、メディアで報道される事実はほんの一面であり、真実は人により、時により、変わりゆくことを示唆する。