「社交的になろうと努力する人」と「社交的な人」は全く違う

子どものころから私はごく少数の友人たちを除いては、深く付き合うタイプではありませんでした。人付き合いのあるほうが新しい企画を思いついたりしやすいものですが、自分と同じタイプの人たちといると居心地がいいあまり、知らない人たちと付き合って新たな関係を築いていくというのはあまり気にかけてこなかった気がします。

例外があるとすれば20代のころでしょうか。会社員になってからは仕事帰りに飲み会に参加したり、当時は親しいとか親しくないとかあまり気にせず付き合おうと努力したりしていました。でも、社交的になろうと努力する人と、社交的な人とはそもそもまったく違うんだとも思うようになりました。10年前に会った複数の人たちのこともきちんと覚えている人、名前をちゃんと記憶している人になりたいと思っていました。

シャンパンで乾杯
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でも、人の名前も顔もなかなか覚えられない私には、誰かに挨拶されるとそのたびに絶望的な気持ちになって、なんとか頭の中をひっくり返して思い出そうと必死になっていたものです。

人脈をつくれる人は人脈づくりをしている自覚がない

先日、教育番組の収録があって、4年ほど前に一緒にお茶をした方に、あの日のことを覚えているかと声をかけられてとまどってしまいました。話を聞いてやっとそのときのことを思い出せたのですが、思い出すのに時間がかかりすぎたせいで、再会してすぐに楽しく思い出を語り合うことはできませんでした。

1、2時間コーヒーを飲みつつ話しただけで思い出とは呼べないかもしれませんが、それでも一緒に座って時間を過ごした。そういう記憶をたぐり寄せられるような時間的なゆとりがあればいいのですが、会社にお邪魔してエレベーターで「あ、イ・ダヘさん、お久しぶりです!」と声をかけられても一瞬混乱したまますれ違って終わってしまうのです。

ネットワーキングの上手な人を見ていると、そもそもネットワーキングをしているという自覚がないようです。こういう人を私は永遠に羨ましく思うでしょう。ただ好きで誰かに会っているだけなのに、結果的にとてもいい関係やチャンスにつながるというようなところを。

「紹介してあげようか」ともよく言われて、お願いしたり遠慮したりしますが、社交的な友人はとても羨ましい存在で、彼らの長所を喜んで受け入れるので、できれば見習いたいとも思っています。