クレディセゾン社長 
林野 宏氏

いま、クレジットカード業界は逆風の最中にあります。2010年の貸金業法と割賦販売法の改定、それに続く過払い金返還請求で、「キャッシングビジネス」というビジネスモデルが崩壊したからです。カード各社の収益は大幅に落ち込み、単独では生きられず、メガバンクを中心とした業界の再編成が行われています。

逆境のとき、「これは外部要因だから仕方ないのだ」と諦めてしまうのは簡単です。しかし資本主義とはマーケットに向かって、絶えず顧客の獲得競争を繰り広げるもの。厳しいのは当然で、逆境は付きものなのです。むしろ競争相手がうつむいているときはチャンスです。ここで知恵を絞ってほかにないサービスを考えれば、簡単に相手を抜き去ることができます。

諦めてしまうのは「ロジカルシンキング」で物事を考えているからでしょう。逆境のとき、論理を立てて、数字を当てはめていけば、対応不能という結論しか出ません。順風満帆のときはロジカルシンキングでもいいのです。ところが法律で前提条件が崩されたり、新しい競争相手が出てきたり、企業の生死が問われるような状況では、ゆき詰まってしまいます。

いま必要なのは「イノベーションシンキング」です。ロジックだけでは成功を導きづらい時代です。イノベーションと呼べるような新しい価値をつくり出していかなくてはいけない。諦めることは簡単ですが、ビジネスを含めた勝負事の世界では、諦めることはナンセンスです。死にものぐるいで「生き筋」を探すことで、初めて、イノベーションが生まれるのです。

毎月10万人を獲得「必ず勝てる」と鼓舞

クレディセゾンは、現在、総会員数2830万人、稼働会員数1450万人(10年度末)と国内トップクラスのカード会社となっていますが、私が入社したときには事実上、倒産していた会社でした。その歴史は「運とツキ」に恵まれたものでした。偶然ではありません。諦めずに生き筋を探し続けた結果、イノベーションが生み出され、「運とツキ」が呼び込まれたのです。

私は大学卒業後、西武百貨店に入社し、人事部を最初に、企画室、マーケティング部、事業開発部など、一貫して新規事業の創設などの業務に携わってきました。そこで新規事業を提案する中で注目したのがクレジットカードでした。1982年、39歳のときに西武クレジット(現在のクレディセゾン)に転籍を命じられます。

西武クレジットの前身は「緑屋」という月賦販売専門の小売業です。当時、すでに倒産していて、銀行の管理下にありました。着任時、社内の雰囲気は真っ暗でした。「適当に働いていればいいや」という意識が蔓延していました。セゾングループのテコ入れでやっと存続しているという状況です。私はまず「必ず勝てる」と訴え続けることにしました。社内の沈滞ムードを払拭し、気迫を植えつけて、運とツキを呼び込める土壌をつくるところから始めたのです。

運とツキは、強烈にそれを望んでいるところにしかやってきません。私は「月に10万枚ずつカード会員を獲得する」という目標を掲げることにしました。そうすれば、1年で120万枚、10年で1200万枚。10%の解約を見込んでも1000万枚となり、会員数は日本一になります。壮大な目標ですが、具体的な方策がありました。

1つは「セゾンカウンター」の設置です。セゾングループの各店舗にカウンターを設置して、営業時間中は絶えず積極的にカードの勧誘を行いました。当時、ライバル会社は積極的な勧誘をしていませんでした。入会カウンターは、正午前後には昼休みがあり、夕方5時には閉まってしまう。土日も受け付けていません。来てくれる人を待つだけだったのです。

しかも我々にはツキがありました。当時は一流企業でも女性が虐げられていました。優秀な女性でも、なかなかやりがいのある仕事は与えられません。お茶くみやコピー取りばかりをさせられ、一定の年齢になれば「肩たたき」も行われます。彼女たちは「自分を高めたい」という強い意欲をもって、一流企業を辞めて、セゾンカウンターのショップマスターになってくれました。

さらに当時は「スピード発行」をする企業はありませんでした。顧客に年収や財産状況を尋ね、それをカード会社が審査したうえで、後日、カードが送られてくるという仕組みでした。これでは勧誘されてもその場で入会しようという気にはなれません。

そこで私たちは、「即与信、即発行、即利用」というスピード発行を始めました。申し込みいただいたその場で審査して発行し、すぐに使えるカードです。業界では革命的な出来事で、大きな武器になりました。

中途採用の女性たちの熱意、画期的なスピード発行の便利さなどが加わり、初年度に目標の120万枚をクリア。実績が積み上がっていくと社内全体の雰囲気は変わり、やる気に満ち溢れるようになりました。