相手を前向きな気持ちにさせ、少しでも幸せになってもらうためなら、あえて残酷な事実を突き付ける必要はありません。ほめる、お世辞をいう、トラブル解消のために我を引っ込める。そんな理由の「いい嘘」なら、いくらでもつけばいいのです。

これに対して、「悪い嘘」とは、自分の悪事を正当化したり、隠したりするためにつく嘘です。嘘が悪いのではなく、動機や効果が悪いのです。

(AFLO=写真)

民主党の野田佳彦・前首相は、野党から嘘つき呼ばわりされたことに腹を立て、「私は嘘をつきません」と応じて、負けることがわかっているのに衆議院の早期解散に踏み切りました。それによって、頼りない民主党政権に引導を渡すことができたのですから、日本国民にとってはいい決断だったかもしれません。しかし、民主党の同僚たちにしてみれば、迷惑千万だったに違いないのです。

なぜ「嘘つき」と呼ばれて、いきり立つのでしょうか。いい人も悪い人も、その言葉の大半は嘘なのです。「嘘つき」といわれても、別に人格を否定されたことにはなりません。私なら笑って「私は嘘つきです。でも、いい嘘しかつきません」と応じたことでしょう。

そもそも「私は嘘をつきません」という言葉自体が嘘なのです。野田さんは格好をつけようとして、みっともない嘘をつきました。もしかすると、子どものときに「嘘をつくな」という教育を受けていて、その影響が残っているから判断を誤ったのかもしれません。

大人は誰しも嘘をつきます。そして、嘘には「いい嘘」と「悪い嘘」があることを知っています。ところが、子どもにだけは、どちらの意味でも嘘を禁じてしまいます。