NTTドコモの革命的なサービス「iモード」に打ちのめされる
iモードの登場は、携帯電話に革命的な変化をもたらした。ニュース、天気予報、株価情報、モバイルバンキングなど、iモード向けのコンテンツが次々に登場し、ユーザーはいつどこにいても、携帯電話さえあればインターネット経由でさまざまなサービスが利用できるようになった。発表からわずか半年で、100万人のユーザーがNTTドコモに殺到した。J-PHONEには解約の申し出が相次いだ。
「やられた」とJ-PHONEのエンジニア・太田洋は思った。実はJ-PHONEも同じようなサービスを開始すべく準備を進めていたのだが、先を越された。それだけではない。すぐには真似できないと頭を抱えたのは、iモードでドコモが導入したパケット通信だった。
パケット通信とは、通信データを一定の長さのパケットに分割して送受信する通信方法をいう。通常、携帯電話のような無線通信にはノイズが入りやすいが、パケット通信はエラーが起きたパケットだけを再送できるので、効率的にデータ通信を行うことができる。しかし、当時のJ-PHONEには、パケット通信に投資する余裕はなかった。
NTTドコモの資本力、社会への影響力、加入者数を考えれば、iモードは脅威以外の何物でもなかった。
悔しかったのは、端末開発の責任者になっていた高尾も同じだった。
一人のエンジニアとしては、iモードの技術に感服せざるをえない。しかし、非音声系サービスにJ-PHONEの活路を見出していた身としては、ウェブサービスでiモードに先を越されたのは痛恨の極みだった。
ヒト・モノ・カネの全てを持つドコモと、ないないづくしのJ-PHONE。同じ土俵で戦っても勝算は低い。iモードとは違う場所で戦わなければならない。何をすればいいのか――。高尾は悶々としていた。
「大手を真似しろ」と言われたが、メール機能で勝負したかった
解約率の上昇に焦ったJ-PHONEの上層部は、悩みを深める高尾に対して、彼の考えとは真逆の指示を出した。「大手を真似た端末を開発してはどうか」というのだ。
「当時、ドコモとIDO・セルラーグループ(後のau)が、音楽プレーヤー機能付きの端末を出すという噂がありました。だから『お前も作れ』って言われたんですよ。でも、違う。何かが違う」
高尾は、自分たちの最大の強みは「メールのJ-PHONE」であることだと踏んでいた。音楽プレーヤー付き端末は、その強みとまるで結びつかない。違う。端末課の同僚には真面目なサラリーマンタイプと評されていた高尾だが、「他社を真似ろ」という上からの指示は一切聞かず、馬耳東風と受け流した。
この時、高尾はすでに出向者の立場ではなくなっている。出向期間が終了した後はマツダに戻る予定だったが、そうはしなかったのだ。
携帯電話会社への出向が決まった時、高尾は通信の専門的な技術やノウハウを学び、マツダに持ち帰るつもりでいた。しかし、東京デジタルホンでの仕事は、高尾を想像以上にワクワクさせるものだった。マツダでは、製品のほんの一部分にしか関わることができないが、端末課ではユーザーに喜ばれる端末のスペックを考え、ものを作り、届けることができる。しかも、新車の開発スパンに比べると、携帯電話の開発スパンは1年と短い。ユーザーにダイレクトに繫がるものを、次々と生み出せる携帯電話の仕事に、高尾はすっかり魅了されていた。
※「後編」に続く