実は「女性裁判官第1号」は三淵嘉子ではなかった
ドラマの寅子と同様、嘉子さんも戦後すぐには裁判官になれず、まず、家庭裁判所の準備に携わっていきました。そして、ドラマでは寅子が女性初の裁判官になっていますが、実際には女性裁判官1号は石渡満子さん。戦後の司法科試験にパスした人で、嘉子さんはそこから4カ月遅れて裁判官になったんですね。嘉子さんは裁判官になる前に、最高裁の民事局や家庭局に居た時期があったためです。
ドラマでは寅子が判事補となり、家庭裁判所で忙しく働きますが、嘉子さんが判事補として最初に配置されたのは、東京地方裁判所の民事部でした。
そこで出会ったのが、裁判長・近藤完爾さんでした。彼は嘉子さんが裁判官として配置されたとき、「あなたが女であるからといって特別扱いはしませんよ」と言った人だったこと、「私の裁判官生活を通じて最も尊敬した裁判官であった」ことを著書『女性法律家』(有斐閣)の中で記しています。嘉子さんの『「職場における女性に対しては女であることに甘えるなといいたいし、また男性に対しては職場において女性を甘えさせてくれるなといいたい」という考え方は、近藤さんの影響が大きかったのでしょう。
「女性裁判官は家庭裁判所」というジェンダーバイアスに反発
嘉子さんはみずから「お決まりのルート」を恐れ、自分の次の異動先には家庭裁判所を希望しませんでした。そのきっかけは、「日本婦人法律家協会」が発足した頃、最高裁判所長官を囲んで行われた座談会でした。当時は2代目長官の田中耕太郎さんで、そこに嘉子さんも招かれたのですが、こんな言葉に耳を疑ってしまいます。
「女性の裁判官は、女性本来の特性から見て、家庭裁判所の裁判官がふさわしい」
そこで嘉子さんは「家庭裁判所裁判官の適性があるかどうかは個人の特性によるもので、男女の別に決められるものではありません」と即座に反論したそうです。ドラマでも寅子は、女性ということで男性と違う扱いはしてほしくないと思っていますが、まさにそうした「はて?」ですよね。
嘉子さんは家庭裁判所の立ち上げにも加わりましたし、アメリカの家庭裁判所を現地で視察もしていますから、田中長官はそんな嘉子さんの能力や経験を買って、家庭裁判所の専門家に育てようと考えたのかもしれません。しかし、嘉子さんは女性法曹のトップランナーとして、女性法曹の道が家庭裁判所に限られ、狭められていくことを恐れたのです。
女性裁判官のトップランナーだった嘉子さんは、人柄も明るく、人気者だったようです。彼女の存在が後に続く女性の法曹たちを励まし、男性と遜色なく仕事ができること、頑張れば認めてもらえるという希望を与えたところはあると思います。しかも、女性で最初に家庭裁判所の所長になった人ですから、後に続く道を切り拓いた功績は大きいと思います。