イスラム疲れ、イスラム離れ…
──イランの若者はどうして自分の国を嫌うのでしょうか。
今のイスラム体制はイラン人の中から生まれた体制ではない、と多くの若者が考えているからです。現体制は国民を代表するものではないということです。
この体制はアラブ人によるイラン支配なんだ、と考えている人もいます。イギリス、アメリカ、フランスが中心になってホメイニ師を革命家に仕立て上げ、イラン人に押し付けたという陰謀論めいた話まである。
ある意味で、イランという国とイスラム共和国を峻別している。ネイションとステートを分けて考えているんです。
──さらに「アラブ嫌い」でもあるわけですね。
これは歴史的な怨念に近いものもあると思います。7世紀、ペルシャ帝国(ササン朝)はイスラム帝国に攻められ、崩壊しました。イスラム軍ということになっていますが、実際に攻めてきたのはアラブ人の軍隊です。
イランの人たちは、自分たちの黄金期だったペルシャが、アラブ人に終止符を打たれたと思っているわけです。これは歴史的な屈辱です。ペルシャの崩壊を機にイスラム化し、アラビア文字を使うようになりました。アラビア語の単語を大量に受け入れた。
日本では、漢字は中国から平和的に入ってきました。誰も今の日本語から漢字を排斥しようなんてことは言いません。ところがイランの場合はアラビア語の排斥運動が盛り上がっています。
1979年のイスラム革命以降、アラビア語教育が行われるようになりましたが、これはコーランの言葉だから全員強制です。例えば医学部や理工学部を志望する者でも、アラビア語、宗教は必修科目になっている。
まるで自民党の裏金議員
かつては、「政治は駄目だけど、宗教は駄目じゃない」という人もいましたが、今はステージが変わってきている。この国の政治と宗教を分けることはできないことが認識されるようになったのです。
本当に敬虔で純粋なイスラム法学者もいます。しかしイスラム政権があまりに酷いのに、反旗を翻すこともしない。今の自民党の若手議員のようです。自分は裏金を蓄えていないけど、党を割って裏金議員に対してNOを突きつけることもない。イランの法学者たちも同様に見られています。
──イラン人は、イランを褒める外国人が嫌いだとも指摘されていますね。
そうですね。特に相手が日本人だと。彼らはとにかく親日で、日本を素晴らしい楽園のように思っている人が多い。そんな国から来た人が「イランをいいと思うはずがない」と思っている(笑)。それくらいイラン人はイランが嫌いだし、自信がない。