日本、ブラジル、アフリカ間の「南南・三角協力」
「アフリカのなかでも私たちがサポートの対象としているのは、アンゴラ、カーボベルデ、ギニアビサウ、サントメ・プリンシペ、モザンビークの5カ国からの優秀な高校卒業者で、近年は各国から毎年1名ずつ受け入れています」
これらはいずれもブラジルと同じポルトガル語を公用語としている。
「日本には特に工学分野などで優れた大学がありますが、専門性の高い分野ほど留学生にとっては日本語がネックです。ブラジルには1965年から発展途上国の学生に対して学士課程修了まで学費を免除して就学させる政策があり、優れた大学では質の高い教育を受けることができます。言葉の壁もないですしね」
ブラジルには、航空機メーカーのエンブラエル、総合開発企業ヴァーレなど世界をリードする有力企業があるほか、デジタル銀行など金融部門でのスタートアップ企業も多い。これらの企業の存在は、優秀な人材を輩出する大学がある証しだ。
より開発の進んだ発展途上国が他の途上国を支援することを南南協力、そしてその協力関係に対して先進国や国際機関が資金や技術面で支援することを三角協力という。あしながブラジルの教育支援は、ブラジル・アフリカの教育事業に先進国のノウハウが投じられる教育分野における初の南南・三角協力として注目されている。
母を亡くしたアフリカ人女性の夢
あしながブラジルの奨学制度への応募者は年々増えており、昨年は5カ国から計約1400件の応募を数えた。単純計算で競争率280倍の狭き門だ。
今年2月から名門サンパウロ大学経済学部に留学しているギニアビサウ出身のニネ・マーラ・サーさん(22)の当面の目標は、4年間で経済学の学位を取得することだ。
12歳のときに原因不明の腹痛と自国の医療不整備により母を亡くしたサーさんは海外留学を叶わぬ夢と決め込んでいたが、首都ビサウで働く姉の紹介で、ホームページ情報から応募資格が遺児にのみあることを知り、自分が挑戦すべき奨学制度だと直感した。
サーさんは書類審査、筆記試験と2度の面接を経て見事ギニアビサウ代表として選ばれた。
高校生時代、サーさんは父から与えられた昼食代の半分を、通学途中で知り合った、学校に通えない身体障害児童たちに分け与えていたそう。サンパウロ大学で学士を修了した暁には、母国で障害者であっても活躍できるような社会づくりに貢献したいと夢は大きい。
「遺児学生は、両親が健全な学生よりも世帯収入が低い場合が多いです。そのなかでも優秀な学生はHALI(high-achiving, low-income)、つまり“低収入ながら成績優秀”とカテゴライズされます。HALIの若者は努力家が多いので、サポートすることで高い成長が期待できるのです」とカストロさんは学生たちの潜在能力に期待する。