国立市政を自公候補から奪還する戦い

上原氏の後継となった関口博氏は1期務めた後、2011年に自公などが推薦した佐藤一夫氏に敗れる。2期目の任期途中に佐藤氏が病気で亡くなった後は、同じく自公推薦の永見氏に上原氏の愛弟子ともいう小川議員が敗退し、現在に至っている。

「上原イズム」を継承する市民にとって、国立市政を自公候補から奪還するというのは悲願なのだ。そんな中で、「上原イズム」を世に広めるきっかけとなったマンション景観問題が起きる。永見市政を攻撃して、国立市のリベラル・反自公勢力を集結させる旗印として、これほどうってつけのテーマはないではないか。

もし筆者がそれを仕掛ける側ならば、間違いなく「グランドメゾン国立富士見通り」を活用する。積水ハウスと国立市を訴えることで、市民に対して永見市政の開発優先という問題を「見える化」するのだ。

積水ハウスはどこかのタイミングで、このような水面下の動きを察知したのではないか。このままいけばあのマンションは政争の具にされる。これから何年にも及ぶ訴訟や政治闘争によって不動産価値も大きく毀損される恐れがあるし、何よりも入居者や契約者のケアなど面倒なことが山積していく。やめるなら今しかない――。そんなギリギリの判断だったのではないか。

市民が勝ち取った「文教地区」という称号

と聞くと、「いやいや、たかが地方政治のゴタゴタくらいで大企業が大金をかけたプロジェクトを放り出さんだろ」と思うかもしれないが、それは国立市民の「闘争力」をナメている。

もともと国立市は一橋大学など教育機関が多いので「文教地区」とされているが、これも東京都から「じゃあ国立市は文教地区で」なんて一方的に決められたわけではなく闘争で勝ち得たものだ。

戦後、隣の立川に米軍基地ができたことで、街の風紀が乱れたことを受けて1950年代に「国立町浄化運動」がスタート。そこでこの運動を主導された人々が掲げたのが「文教地区指定」だった。文教地区になれば、風営法取り締まりのキャバレー等が開業できず、ホテルや旅館も制限されるからだ。