「べき」は怒りの原因になる言葉
【澤円】なるほど、扱い方さえ間違わなければ、怒りにも大きなメリットがあるということですね。少し話題を変えて、怒りの原因について考えていきたいと思います。僕は以前からあるゲームをやっているのです。それは「べき」という言葉を使わないというものです。「『べき』に縛られると思考が停止する」と考えているからなのですが、この「べき」は、怒りの原因にもなり得ると考えています。
【戸田久実】まさしくおっしゃるとおりです。「べき」とは、自分の理想や願望、期待、譲れない価値観などを象徴する言葉です。「約束の期限は守るべき」「トラブルがあったら報告をするべき」など、さまざまな「べき」があります。そういった「べき」が破られると、怒りが生まれるのです。
注意が必要なのは、「べき」は人によって違うということです。これだけ価値観が多様化しているなかで、「わたしの『べき』があたりまえだ」「これが常識でありふつうだ」と思い込むと、相手にその価値観を押しつけることになります。そうなると、周囲の価値観と衝突して怒りが生まれやすくなって当然です。
「わたしはこう思う」と言い換える
【澤円】これだけコンプライアンスに対して敏感な時代ですから、「べき」の押しつけによってハラスメントにつながることにもなりかねませんよね?
【戸田久実】このことについては、特に世代間の違いに注意が必要だと思います。ハラスメントの多くは、「自分たちの世代ではこうだった」「こうあるべきだった」という意識から生まれます。でも、世代が違えばいまに至るまでに育ってきた環境も違いますから、それぞれの「べき」も異なります。
【澤円】僕の場合、「べき」を使う代わりに、「わたしはこう思う」「わたしはあなたにこうしてほしい」といった言い方をするように意識しています。
【戸田久実】それはすごくいい表現だと思います。「わたしはこう思う」「わたしはこうしてほしい」ということであれば、あくまでも自分の考えを述べているだけですから、押しつけにはならないでしょう。でも、「ふつうはさ」というように、自分の考えがあたかも常識であるように伝えはじめた途端に相手の反感を買ってしまう可能性があります。