チャールズ・チャップリンは活動の場をヨーロッパに移した

ウォルト・ディズニー・スタジオの創設者ウォルト・ディズニー、後年にアメリカ大統領となった俳優のロナルド・レーガンなど、ハリウッドにおける赤狩りに協力した著名人は多い。一方では、俳優のグレゴリー・ペック、ヘンリー・フォンダなど、政府による映画界への介入に反発し、ハリウッド・テンを擁護した者も少なくなかった。喜劇界のスターだったチャールズ・チャップリンは、非米活動委員会の活動を批判したために非難を浴び、1952年にロンドンへ渡航して以降、活動の場をヨーロッパに移している。

映画の撮影
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映画界に限らず、官庁、大学、出版社などでも次々と共産主義者が摘発された。すでに官界では、元共産党員のジャーナリストであるウィッテカー・チェンバーズによって、ローズヴェルト大統領の側近を務めた弁護士アルジャー・ヒスなどの政府関係者が、ソ連のスパイを務めていたことが暴露されていた。加えて、1949年9月に公表されたソ連の原爆保有、また1950年6月に起こった朝鮮戦争によって共産主義への警戒心はますます高まる。同年9月には、共産主義団体の政府への登録義務や、共産主義者の海外渡航禁止、入国拒否などを定めた国内治安維持法(マッカラン法)が成立した。

平和主義者、穏健なリベラル派、同性愛者も弾圧の対象に

マッカーシズムの下で弾圧の対象となったのは、明確な共産主義者だけではない。過去に反戦を唱えたことがある平和主義者や、穏健なリベラル派も追及された。また、同性愛者や、人種差別に反対する者も「反米的」と見なされている。マッカーシーは民主党から共和党に転じた議員で、一連の赤狩りには、かつての民主党によるニューディール政策に関与したリベラル派の議員や官僚を非難して、選挙戦で共和党を有利にする意図もあった。実際に1952年の大統領選挙では、第二次世界大戦中の連合国最高司令官だったドワイト・D・アイゼンハワーが、共和党から出馬して当選している。

この時期の有名なエピソードが「ローゼンバーグ事件」だ。戦時中、マンハッタン計画に参加していた技師のジュリアス・ローゼンバーグと妻のエセルは、ソ連に原爆の情報を流した容疑で逮捕され、1953年6月に処刑された。この事件は証拠がエセルの弟の自白しかなく、ローゼンバーグ夫妻は一貫して無実を訴えたため、国内外で「冤罪ではないか」と非難された。それから時は流れ、冷戦終結後の1990年代にソ連の暗号通信記録(ヴェノナ文書)が公開された結果、夫妻は本当にスパイだったことが明らかとなる。とはいえ、死刑に値するほどの罪を犯していたかについては見解が分かれている。スパイ容疑での民間人の処刑はアメリカ史上でもきわめて異例で、当時のアメリカがいかに共産主義者を敵視していたかを象徴している。