脚本を作って原作者に掛け合うのはテレビ局にもメリットあり
もちろん、現状は、放送開始前に最終話まで撮り終わっていても、脚本が最後まで完成していても、イコール、原作者がオールOKだったということではない。だが、こうしたスケジュールの場合、少なくとも原作者は脚本に目を通し、言いたいことがあれば言えるだろうし、修正も要請しやすいだろう。「セクシー田中さん」のように、ドラマの脚色に納得がいかなければ、最悪の場合、作品を引き上げる、つまりドラマ制作中止にするだけの時間的余裕は持てるはずだ。
それは、テレビ局にとっても、今回のようなイメージダウンになるよりはベターであり、放送前に「損切り」ができるというメリットがある。日本テレビの報告書にも社外のプロデューサーが「例えば、初回放送から9か月程前であれば脚本含めて先に作って、オンエア前に撮ることも出来る。トラブルになった場合の差し替えも可能である」という意見を寄せている(同報告書「【別紙3】有識者の方々からいただいたコメント」)。
本当は「できる」のに、なぜ「できない」と弱腰になるのだろうか。それは、つまるところ、「セクシー田中さん」事件で原作者の死という最悪の事態を招いた体制を変えられていないからではないか。
テレビ局がドラマ化決定前に脚本を作り上げられない2つの事情
現状、テレビ局がなぜ脚本を最終話まで用意できないかというと、理由のひとつはマンパワーの問題だ。日本テレビの報告書で明らかになった「ドラマの企画が決まるのが遅い」「準備期間が足りない」という現場の声。制作期間に余裕がないので、プロデューサーは目先のことで手一杯になり、先々の放送予定に合わせて脚本を作り、原作者に掛け合っておくということができない。
もうひとつの理由は、「セクシー田中さん」事件の根幹にかかわる、原作へのリスペクトの低さ。小学館の報告書には「改変が当然できると考えているようなテレビ局のプロデューサーもいる」と記されている。そして、日本テレビの報告書にもこうある(弁護士のコメント)。
いうまでもなく、日本テレビは、著作権者にあたる原作者(ライセンサー)から、原作の利用許諾を得た上で、新たにドラマを制作・放送するライセンシーという立場である。もっとも、そうではあるものの、今回当調査のヒアリング等を通じ、制作サイドにおいては、原作を映像化するという作業の中で、原作を何ら改変しないことは基本的にないという考え方が標準的であることや、原作をもとに、どのようなエッセンスを加えれば、より視聴者の興味を惹きつけるドラマにできるか、という考えを少なからず持って企画・制作に当たっているということが分かった。
これは、ドラマという映像コンテンツはあくまでもテレビ局の作品であるという考え方が根底にあるものと思われる。
(日本テレビ「セクシー田中さん調査報告書」)