「すてきな話じゃなくても、だいじょうぶですか?」
三品万麻紗(みしな・まあさ)さんは宮城県多賀城高等学校普通科1年生。まず、被災時の状況を聞こう。
「うちは東北電力の社宅で、ちょっと傾いて、ひび割れとかすごかったりして。うちは4階だったんで家自体は大丈夫だったんですけど、1階まで津波来ちゃって、車とか自転車とか倉庫はぜんぶ駄目でした。高台の小学校に避難して、4日ぐらい教室で過ごしました。近くでガス爆発があって、3日目くらいに『もうひとつのタンクが爆発したら、ここは危険です。避難は自己判断で』と言われて、仙台の叔父の家に避難しました」
東北電力にお勤めのお父さん、震災後はたいへんだったのでは。
「地震直後からすぐにずっと仕事でした。地震後、私は叔父の家にいたので、お父さんとは、ほとんど1カ月一緒に住んでいませんでした。でも、食糧やホッカイロなどを持ってきてくれて、震災を通して、お父さんのあったかい面を見れたのが本当に嬉しかったです」
ここからは、三品さんの未来の話を聞く。三品さんは将来何屋になりたいですか。
「わたし、中2の頃からずっと、映画か、ドラマか、テレビ番組の制作に携わるプロデューサーになりたいと思ってて。まずは日本で、ドキュメンタリーやバラエティをやってみたいんですけど、もし行けるんだったら、ハリウッドとかでも勉強したいなって思ってます」
きっかけは何ですか。
「すてきな話じゃなくてもだいじょうぶですか? わたしのお父さん、転勤がすごい多くて。ぜんぶ宮城県内なんですけど、生まれてから6回くらい引っ越してるんです。小学校3つと中学校2つ。いい迷惑ですよ、本当に(笑)。転校するたびに、結構いじめとか多くて。そのなかで、自分で探した楽しみがテレビで、わたし、すごいテレビっ子なんです。お母さんが『日本のドラマはもうわかっちゃうからつまらない』とか言って、ひたすら私に洋画を薦める人で。その影響も受けて。そのあと、日本のドラマもたくさん観るようになって。それで、友だちが……すごいマニアックな話になってもだいじょうぶですか?」
はい、だいじょうぶです。
「小学校で唯一の友だちが、松本潤を好きになり始めて(笑)。その友だちにむりやり薦められて、『花より男子ファイナル』っていう映画を観に行って、『あっ、これは面白い』って。サウンドトラックもすごくきれいだったし、映像もきれいだし、ストーリーも面白くて。そこから『花より男子』っていう作品にハマっちゃって。今、唯一わたしの家にあるDVDボックスが『花より男子ファイナル』なんです。その中にあったメイキングを観たときに、なんかピピッと来て、『あっ、こういう仕事やりたい』って思って」
そのメイキングの中には、プロデューサーも登場している?
「登場しました。撮影の様子とか、監督と俳優さんが絡んでるい場面とか、オフショットがいっぱい入っていて。それが面白くて。そのころも結構いじめとか受けてて、自殺も考えたこともあって。でも、『ドラマ観なきゃ』みたいな(笑)」
いじめと「ドラマ観なきゃ」は、どのようにつながるのですか。
「ディレクターが番組の中でいじられてるのとか観て、『ああ、わたしもこういうふうにいじられたい』みたいな夢が(笑)。わたし、妄想することとか、いろんなアイディア出すの大好きなんです。その夢ができたことによって——自殺とかを考えてるよりも、生きていこうって思ったんです」
好きなプロデューサーや映画監督はいますか。
「今、河瀬直美さんに興味津々です」
「花より男子」から河瀬直美に話が飛んだときは驚いた。1997年、処女作『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞し、2007年には『殯(もがり)の森』で同映画祭グランプリを受賞。根拠地である奈良で「なら国際映画祭」の運営にも携わる映像作家だ。三品さん、どこで河瀬直美を知りましたか。
(明日に続く)