内視鏡で心臓の外側だけを眺めるのではなく、心臓を包んでいる分厚い膜の中に内視鏡を入れるなどして実験、心臓の表面を走る冠動脈をそこで見据えたときに確信しました。(ここまで血管が鮮明に見えるのか。冠動脈バイパス手術なら内視鏡で可能だ)と。
その後も実験、手術の手順の考察を重ねました。そして、1999年に私は内視鏡手術(完全内視鏡下冠動脈バイパス手術)を世界で初めて成功させるに至ります。
人工心肺を使用せず、胸の横に小さく開けた穴から内視鏡を挿入して行う手術は、時間が短く済むだけではなく、切開しないことで患者さんの体への負担を軽くできました。脳梗塞や心不全の原因にもなる重篤な心臓疾患の治療も、画期的に改善できたのです。
日本の外科医たちは「猟奇的だ」と批判した
心得 満足感に浸り続けてはいけない
ただこのとき、周囲が諸手を挙げて私の成功を喜んでくれたわけではありませんでした。従来の術式に固執したがる日本の外科医たちからは、批判的な声も上がりました。
「猟奇的だ」
「安全は担保されているのか」
しかしその後、高い手術成功率を示すと批判の声は小さくなり、やがて耳に届かなくなります。そして今度は皆がやりたがりました。
世間の反響も大きなものでした。私が内視鏡心臓手術について書いた論文が、世界的に有名な医学誌『ランセット』に掲載されたのです。『ランセット』は1823年にイギリスで創刊された週刊医学雑誌で、世界中の医師たちが読んでいます。心臓外科医が論文を書くのは珍しいことでしたが、これにより内視鏡心臓手術は世界に広まり、その後のロボット手術へとつながっていきます。
日本国内でも「世界で初めて内視鏡で心臓手術をした外科医」とNHKがニュースで報じてくれました。いくら患者さんたちのためになる術式を開発しても、志をともにする仲間たちから評価されたとしても、それが時として旧態依然とした勢力からは認められず、排除の方向に向かわされることもあります。
医師の保身、既得権益…
新たな発見や開発は、それまで既得権益を有してきた人たちにとっては邪魔な存在でしかなかったりするのです。
でも、医師が対峙するべきは、自らの地位を得るための権力闘争などではなく、目の前にいる患者さんです。
私が「完全内視鏡下心臓手術」を行ったことをメディアが大きく報じてくれたことは、その思いを後押ししてくれました。