「余白」はビジネスになりうるのか?

ここで気になるのは、こうした「余白」を活かした施設は持続可能性があるのか? ということ。簡単にいえば、「稼げるのか?」。

ハラカドや渋谷TSUTAYAについて、それぞれの本社の説明を見る限りは、これまでの収益構造モデルとは異なるモデルを確立しようとしている。

ハラカドは、全体の収益のうち、物販が占める割合は半分強にすぎず、他はリテールメディア、つまり館内にあるスペースを活かしたイベントなどによる「広告収入」で稼ぐモデルを目指しているという。根本的に収益のモデルを変えているのだ。

渋谷TSUTAYAも、物販で稼ぐ、というよりはその時々に開催されるIPの「プロモーション」で生じる収益「プロモーション費」が全体の4割を占めると説明されている。渋谷の一等地は、日本のみならず世界中のさまざまな人の注目を集めることができる。IPの権利元からすれば、その場所はプロモーションに最適だ。

「モノ」消費が天井にぶち当たっている今、「モノ」に頼らない収入源を模索しているといえるだろう。その意味では、ビジネスモデル的にも、現代にマッチしているといえる。

最近の都市には「余白」がない

こうした商業施設の「余白」化はなぜ起きているのか。

それが、これまでとは異なる収益モデルを持っていて稼げるとしても、何かしらのニーズがなければ、わざわざこのような方針の施設を作らなくても良かったはずだ。

その背景にあるのは、近年の都市に対する「アンチテーゼ」ではないか。近年の都市は、高密度にさまざまなものがぎっしりと集積され、遊びの空間が減っている。そのため物理的な余白が消えるだけでなく、客が過ごすときの精神的な余白も同時に消えている。

物理的な余白で言えば、特にシェアリングエコノミーが進展するにつれて、街にあったちょっとしたスキマやスペースがどんどんとこうしたサービスに埋め尽くされるようになっている。

代表的なのが、特に都心部において普及しているLUUPだ。以前、本連載でも書いたが、LUUPの特徴の一つは、「自販機2台分のスペース」でも置けることにある。私は以前、渋谷周辺のLUUPのポートを100箇所めぐったことがあるが、その中には自販機2台分のスペースよりも、もっともっと極小のスペースにLUUPが置かれている場所もあった。都心部のスペースを埋め尽くす勢いで、LUUPは増殖している。

LUUPステーション
筆者撮影

減っているのは物理的な余白だけではない、精神的な余白も消えている。

特に、都心部の場合、街をぶらぶら歩く、街の中でだらりと過ごすことができる場所が少なくなってきている。私は、1000円以下ぐらいの値段でだらだらできる場所のことを「せんだら」と呼んでいるが、その「せんだら」需要が増していることを最近感じている。

例えば近年、都心周辺のチェーンカフェは非常に混んでいることが、大きな話題を呼んでいる。かつてはファミレスなども若者たちがだらだらと滞留する場所であったが、近年では「90分制」を掲げる場所も増加。かつてのゆるいファミレスも過去のものとなってしまった。

精神的な余白、物理的な余白が都市の中に激減している印象を抱かざるをえない。