「俺と一緒にラーメン屋やらない?」

この頃に、のちに妻となる奈津子さんに出会う。2018年のことだった。

奈津子さんは短大で栄養学を学んだ後、バスガイドの仕事を経て、観光施設でガイドをしていた。奈津子さんに出会ったことで、一気に独立への思いが込み上げた利幸さんは思いもよらない一言を発する。

「俺と一緒にラーメン屋やらない?」

先のことが何も決まっていないにもかかわらず、言葉が先行してしまった利幸さんだったが、なんと奈津子さんは「面白そうだからやりたい」とふたつ返事でOKしてしまったのだ。

「ガイドの仕事で、とにかく人を喜ばせることが大好きだったのと、栄養学を学び、食べるのも作るのも大好きだったので、なんとなくピンときてしまったんです。

自分で何か仕事を立ち上げたいという気持ちもあったので、OKしてしまいました。結局ここからが長かったんですけどね(笑)」(奈津子さん)

完全にスイッチが入った利幸さんは、「びぎ屋」を半ば強引に退職。

川口の実家でラーメン屋をやれるかもしれない可能性もあったが、母の許しが出ずに断念。そのままコロナ禍に突入するも、独立に向けて物件探しをすることになる。

うだうだ悩む姿に奈津子さんがとうとう…

コロナ中であってもお店をオープンさせようという気概で動き出したが、いざとなるとなかなか踏み込めない利幸さん。ラーメン店は新規参入が多いが、短期間の撤退も多く過酷な競争を強いられる。自信の無さから決めきれなかったのである。

「物件の場所を言い訳に決めない日々が続いていました。私は常にやらない理由を探していたんだと思います。

独立を決心した時の根拠のない自信がなくなり、現実を突きつけられている気分でした。そんな時に、やるべきことをひとつずつ潰していってくれたのが彼女だったんです」(利幸さん)

お店を開くためには「お金を貯めること」と「お金を借りること」だと考えた奈津子さんは、徹底的に生活を切り詰めてお金を貯め、事業計画書を作って各所を奔走した。

店内での利幸さんと奈津子さん
写真=筆者撮影
開業には多くの不安があったという利幸さんに対し、現実的な問題を奈津子さんが一つずつクリアしていったという

その間、梅屋敷と池上に条件に合ったいい物件を見つけたが、この2軒も結局決められず、奈津子さんの堪忍袋の緒が切れた。

「ここまできたらもうやらなくてもいいやという思いから『いい加減にやるのかやらないのかハッキリしてくれ』と言いました。確実に気持ちの面が足りないことはわかっていたので」(奈津子さん)

物件を決めきれなかった2人は、最後の砦として「間借り営業」に辿り着く。

まずは一回間借りでお店をやってみて、これでダメだったら諦めようと決心する。

こうして、目黒の不動前にある物件の間借りをスタートしたが、最初の4カ月間は空家賃を払って試作をし続けた。