オープンの5分前まで「逃げたかった」

「今まで家で試作していた味が店舗だとなかなか出なかったんです。

結局試作を1カ月で諦め、『多賀野』や『もつけ』など自分たちの好きなラーメン店をもう一回回って原点に返ることにしました。こうして、自分たちが目指すのは“王道の中華そば”だということに気づいたんです」(利幸さん)

一からラーメンを作り直した2人は目指す味を追求していった。自分たちはいちばん難しいところを目指しているのかもという不安を抱えつつ、ラーメンを完成させた。

オープン直前には「びぎ屋」の店主・長良貴俊さんが食べに来てくれた。

「社長の『美味しかったよ』の一言がすべてを救ってくれました。不義理で辞めて連絡しづらかったのですが、こうしてもう一度お会いできてうれしい一言をくださり、本当に安心しました」(利幸さん)

看板メニューの「もちもち雲呑中華そば」
店の看板メニューは「もちもち雲呑中華そば」。岩手県産のもち小麦粉「もち姫」を100%使用しており、一つずつ手作業で作っている

昨年2月24日に間借り店舗のオープンとなったが、利幸さんはオープンの5分前まで逃げたかったという。

奈津子さんが「30分で閉めてもいいからやってみれば?」とはっぱをかけ、「奈つやの中華そば」はオープンした。

オープン前には4人のお客さんが並んでいた。告知も出していないのになぜ並んでいたんだろう?と調べてみると、「びぎ屋」の長良店主がインスタグラムで宣伝してくれていた。初日は15人という滑り出しだった。

看板メニュー消滅のピンチが早々に訪れるも…

翌週にはラーメン評論家の大崎裕史さんが食べに来て、その記事を見たラーメンファンが殺到。30人の行列ができるようになった。利幸さんは怖さから解放され、とにかく一生懸命営業しなくてはと走り続ける毎日だった。それでも、不安からXやインスタグラム、食べログの書き込みを毎日チェックしていた。

このまま順調にいくかと思った開店1カ月後、再びピンチが訪れる。

煮干しが不漁で買えなくなり、中華そばが提供できなくなったのである。脂ののった煮干しの旨味が特徴の一杯なだけに、その種類にもとことんこだわっている。簡単に種類を変えることは難しい。中華そばの提供を断念した利幸さんは、お店を1週間休んで「つけそば」を開発して提供を始める。

その後、煮干しの入荷とともに中華そばを復活させ、つけそばとの二枚看板で売り上げも安定してきた頃、満を持して独立店舗を構えようと再び決心する。

ある日、お店が終わって帰る途中の信号待ちの間に、下丸子にある魅力的な物件を見つけ、その場で不動産屋に電話を入れる。たまたま以前に利幸さんの住んでいた場所の数軒隣の物件で、ここしかないと決めた。

「数々の挫折があったからこそ、この物件に出会えたのだと思い、契約しました。

ここで絶対にやるんだ!と今度こそ決意は固かったです。そこからはオープンに向けてかなりスピーディーに進めていきました」(利幸さん)