そもそも健常者が速く上がるための装置ではない

ここで誤解している人がいる可能性があるので再確認しておきたいが、そもそもエスカレーターは、足に障がいがなく脚力が衰えていない人、いわゆる健常者にとっては、早く階上に上がるための装置ではない。

一般的なエスカレーターの速度は0.5m/秒であるが、これは健常者が階段をふつうに上がる速度(平地の歩行速度1m/秒の40%遅い速度、すなわち0.6m/秒)よりもやや遅いからだ。早く階上に上がりたい場合には、階段を上ったほうが、断然速いのである。

つまりエスカレーターは、階段を速く上れない人が、健常者と同じくらいの所要時間で階上に到達できるようにするために存在している装置、すなわちバリアフリーの装置なのである。先ほど紹介した「お歩きになりたい方もいらっしゃるので」と言った駅係員には、この視点が完全に欠落している。

そして現状では、この「お歩きになりたい方」が最優先に扱われ、それ以外の人、すなわち階段を上ることのできない人が、長蛇の列に黙々と並ばねばならない空気に支配されているのである。

ナッジ理論も悪くはなかろうが、障がいのある人や、脚力の弱っている人が健常者に道を譲っているこの現状は、一刻も早く変革せねばならない。そのうちに皆の意識が変わって……などと言っている場合ではないだろう。

大型連休中の東京駅で見た「やればできるじゃないか」

ではどうすればいいのか。

先日、ゴールデンウィークの真っ最中にはずせない所用があって、東京駅から東海道新幹線を利用することになった。覚悟はしていたが想像通りの大混雑。そのとき新幹線の改札を入った先のエスカレーターでは、駅係員が横に立ち、次々と押し寄せる利用客にたいして「片側を空けずに両側に立ち止まってお乗りください」と連呼していたのだ。

大きな荷物を持つ人が多かったこともあろうが、そのエスカレーターでは誰一人歩行することなく、整然と両側立ちが実践されていたのである。やればできるじゃないか……私はそう思った。

おそらくけっして安価ではない「最新の高性能エスカレーター」、しかもそっと意識変革を促す実験を万博会場でおこなったところで、その後の日常が変わるとは到底思えない。東京駅での駅係員がおこなっていたような「今すぐできること」を、なぜ日常的に実行してこなかったのか。

まずは1カ月、朝夕のラッシュ時間帯だけでもいい。全国一斉に、同時多発的に鉄道各社が各駅で、毎日毎日「片側空け禁止」「歩行禁止」とハッキリと利用客にアナウンスするキャンペーンを行うだけで、かなりの効果が期待できるのではなかろうか。そのマンパワーがなければ、エスカレーターのステップに「片側空け禁止」「歩行禁止」とド派手な色彩で描けばいい。LEDのような高価な細工など必要ない。