「目立つくらいなら不便に耐える方がまし」
高齢患者さんを診察していると、老化や病気などに伴い足腰が弱まっている人も少なくない。そうした人にとって非常に厄介かつ危険ともいえる問題が、「エスカレーターの片側空け」だ。
「片側空け」とは、エスカレーターを歩行したい人のために、右側もしくは左側を歩行用通路として空けるもので、とくに駅構内で多くみられる現象だ。すっかり定着している正統派マナーであるかのようにも見えるが、じつは正統派どころか、今すぐ廃止されるべき「因習」であると断ずるほうが正しい。
その理由は輸送効率の低下だけではない。接触や転落事故といった危険をもたらすことはもちろん、杖をつく人や、立つ側によっては体を支えきることができない人にも大きな不便を強いるものだからだ。これらの観点から、もう何年も前から止めるべきとの指摘が再三なされていることをご存じの方もいるだろう。だが今なお、いっこうに改められないままなのである。
この問題は、これまでもプレジデントオンラインをはじめ、多くのネットメディアやSNSでも取り上げられてきた。神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏は「エスカレーター二列使用者からひとこと」という題で新聞に寄稿したといい、「これ、日本人の宿痾です。『目立つくらいなら不便に耐える方がまし』なんです」とXで指摘している。
「片側空け」の発端は前回の大阪万博だった
後述するが、鉄道各社も一応はポスターや自動音声などでエスカレーター内の歩行に注意するようアナウンスしてはいるものの、あくまでも「お願い」レベルのものであって、その呼びかけは「歩きスマホ」や「駆け込み乗車」にたいするものに比べると、ずいぶんと控えめだ。
一方で、埼玉県や名古屋市といった地方自治体では条例を制定して「エスカレーターは両側に立ち止まって乗ろう」との呼びかけをおこなっている。
ただ、2021年10月に条例を施行した埼玉県では、施行3カ月後には歩行する人が施行前の60%から40%にいったん減ったものの、施行後1年ですっかりもと通りになってしまったとのことで、これも抜本的な解決策となったとは言いがたい。私が通勤で利用する私鉄、JR、東京メトロ各線でもいまだに右側が「歩く人用」に空けられ、時間帯によっては左側に長蛇の列ができている。
そもそもエスカレーターで片側を空けて急ぐ人に歩かせるシステムを作ったのは、大阪の阪急電鉄が梅田駅において「片側空け」を呼びかけたことが発端とされる。
それは1970年の大阪万博の直前で、当時の先進国で当然とされていた「片側空けマナー」を日本でも普及させることで、日本も先進国の一員として恥ずかしくない姿を見せるためだったと言われている。なんと前回の大阪万博がこのような非効率かつ危険な「因習」を作ってしまったのだ。