ドラマ「虎に翼」(NHK)で寅子(伊藤沙莉)と同時に高等試験司法科に合格した1年先輩の久保田聡子(小林涼子)と中山千春(安藤輪子)。そのモデルは三淵嘉子と共に初の女性弁護士になった久米愛と中田正子なのか。NHK解説委員の清永聡さんは「久米は弁護士として女性の権利擁護に尽くした。中田は戦時中、鳥取に疎開し、そこで女性初の弁護士会会長になった」という――。

※本稿は、清永聡『三淵嘉子と家庭裁判所』(日本評論社)の一部を再編集したものです。

寅子の先輩・久保田と中山のモデル? 明大出身の久米愛

久米愛は、女性で初めて弁護士となった3人の1人であり、戦後も弁護士として第一線で活躍。女性の権利擁護のため指導的な役割を果たす生涯を送った。

明治44年、大阪に生まれる。津田英字塾で英語を学び昭和8年に卒業するが、この年、弁護士法が改正されて、女性にも弁護士への道が開かれると知ると、今度は明治大学専門部女子部へ入学する。ともに高等試験司法科に合格した中田正子は、久米のことをこう書き記している。

「(久米さんは)度の強い縁なし眼鏡の奥に理知的なひとみが輝いていました。きりりとした身のこなしや態度に、最初はちよっと近づき難い感じもしましたが、話してみるととても親しみ深くユーモアも十分、持ち合わせていられて、すぐ仲良しになることができました」(婦人法律家協会会報一六号)

経歴から気の強い女性というイメージを持たれることもあったが、久米を知る人はその多くが、優しくさっぱりとした彼女の親しみやすい人柄を語っている。ある研究者は彼女のことを「ソーダ水」と呼んでいたという。その言動に胸のすく爽快さがあったためだ。

高等試験を受験する昭和13年1月、彼女は日立製作所に勤務する久米知孝と結婚する。知孝は北九州の工場に配属され、9月には軍隊へ召集された。

昭和16年、女性弁護士として初めて法廷に立つ

この年の11月、合格発表翌日の「東京日日新聞」には、3人の合格を伝える記事の見出しに「中に皇軍勇士の夫人も」とあった。これが久米のことである。修習を終えた久米は、丸の内にあった有馬忠三郎(戦後日弁連初代会長)の事務所で働くようになった。

画像=初の女性弁護士誕生を報じる『東京朝日新聞』、1938年11月2日付
画像=初の女性弁護士誕生を報じる東京朝日新聞、1938年11月2日付

「法律新報」という専門誌には、昭和16年9月に「我が裁判史上婦人弁護士最初の熱弁」という長文の法廷傍聴記事がある。登場する「婦人弁護士」は久米であった。担当したのは、29歳の女性が生後70日の実子を殺害した事件である。被告人は男から関係を求められ男児を出産するが、直後に別れ話を持ち出され、子どもと心中しようと犯行に及んだという。

主任は男性弁護士で、久米は補助役であった。それでも9月17日の2回目の法廷は久米が弁論を読み上げるとあって、傍聴希望者で法廷は満席だった。