人生の残り時間を考えると我慢は割に合わない

相手に合わせてしまいがちな人が、それを変えるために必要なのは、性格や思考をどうこうするというより、「場数を踏む」ことだと思います。

嫌われるかもしれなくても、言いたいことを言ってみる。何かお願いをしてみる。その結果、それでも嫌われない場合があるという経験を得ていくことで、いつも人に合わせなくてもいいのだと思えるようになるはずです。

とはいえ、たまには周囲に合わせなければいけないときもあります。どんなときでも意地を張れということではありません。他人に合わせるほうがラクという人は、それでかまわないと思います。

ただ、我慢するとか、ストレスと感じるようなことは、もうそろそろやめたほうがいいということです。

嫌われるのが怖いからと我慢を続けても、残りの人生でそれほどいいことがあるとは思えません。

若いうちは、どんなことでも我慢すれば、いずれ何らかの見返りが得られると思えたかもしれませんが、人生の残り時間を考えれば、もはやその我慢は割に合わないと考えたほうがいいでしょう。

フルーツとワッフル
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見栄を張るのも自分の気分がよければいい

友達との会話で、あるいはフェイスブックやインスタグラムなどのSNSで、自分の暮らしぶりなどについて見栄を張る、豊かで幸せな自分をアピールして、周囲の人に対して「マウントをとる」、つまり優位に立とうとする。そんな人はよくいます。

虚勢を張るのはたしかにむなしいことで、そのことに自分自身でしんどさを感じているのであれば、やめたほうがいいでしょう。でも、本人がそれで気分がいいのであれば、別にかまわないのではと思います。

SNSで架空の自分になりきったとしても、それで詐欺さぎを働いたりするのでなければ、別にとがめられるようなことでもありません。見栄を張るために浪費するのが問題だとしても、見栄のためだけに使うお金など、たかが知れています。

歳を重ねると、お金に余裕のある人とそうでない人、健康な人と体の衰えが激しい人など、いろいろな面で個人差が大きくなってきます。

そこで相手との格差を感じて、つき合いがつらくなるようであれば、無理につき合いを続けなくてもいいと思います。

一方で、たとえば友達がリッチな未亡人になって、その友達と会うと自分もちょっとリッチな気分になれるとか、かつての同級生が有名人になって、その同級生と一緒にいると、なんとなく気分がいい、ということもあると思います。

その気分のよさを楽しむのも悪くないことです。また、人づき合いでは、できる範囲で相手に親切にするに越したことはありません。そうすることで相手も喜び、自分も気分のよさを味わえます。