ぐらぐらした夢だけがあって

男乕美歩さん(気仙沼女子高3年生)。

男乕美歩(おのとら・みほ)さんは、小松さんの1年先輩、気仙沼女子高(英進コース)3年生。震災前は「ぐらぐらした夢だけがあって」と語る。まず、その夢の話を聞かせてください。

「震災前はほんとに迷ってて。わたしは唐桑(からくわ)というところに住んでいるんですけど、そこは大唐桑(おおからくわ)の木というのがあって、その木の葉を使って、お祖母ちゃんがお茶をつくっているんです。それを産業にできないかみたいなことを父がやってるんです。父は車の部品をつくる工場をやっているんですけど、お父さんはなんでも屋さんで、商工会の理事とか消防団とか松圃虎舞(まつばたけとらまい)保存会で太鼓の指導もやってます」

《昔々、唐や宋との交易があったころ、珍しい文物を積んだ船団が暴風雨に遭って漂着した。その中に、唐の木である桑があった。それが次第に増えて、養蚕が盛んになったという。それで、唐桑と呼ぶようになったとの地名伝説がある》(太宰幸子著『みやぎ地名の旅』河北新報出版センター、2011年刊)

旧唐桑町は2006(平成18)年に、気仙沼市と合併している。2009(平成21)年には南に隣接する本吉町も編入され、現在の気仙沼市となった。お父さんが携わる松圃虎舞は、唐桑町の御崎神社例祭に航海安全・大漁祈願として奉納される気仙沼市の無形民俗文化財。15メートルの長い梯子を登る虎の演舞で知られている。陸前高田市の広田町など、気仙は虎舞が盛んな地域でもある。大唐桑茶の話を男乕さんに続けてもらおう。

「大唐桑の葉っぱを使ってお茶をつくって、今、実際に売ってるんです。東北大学の教授だか誰かに調べてもらったんですけど、疲労回復とか高血圧とか目とかにいいんですよ。で、こっちだけじゃたぶんあんまり売れないんで、仙台にお店をつくって唐桑の特産品として売っていこうと。仙台で父の姉妹が塾やってたりエアロビクスのスタジオとかやってて、そういうとこと組んで」

男乕家は、事業のバイタリティが強い家なのですか。

男乕さんからお土産に戴いた「大唐桑茶パウダー」。おいしく戴きました。

「たぶん(笑)。60何歳かでもう亡くなったんですけど、祖父が市議会議員で、いろいろやってました。今、父がやっている自動車部品の工場も、たぶん祖父が『今は車の時代だ』って始めてるんですよ。なんか30年くらい先取りする人だったみたいで、父がまだちっちゃい頃に、ソーラーパネルを家に設置したりとか。わたしには、いろんなところに連れていってくれたり、いつもパチンコをしてたイメージしかないお祖父ちゃんなんですけど(笑)。わたしが小学校に上がる直前、ちょうど3月11日に亡くなりました」

男乕さんは、特産品の大唐桑を活かした仕事ができないかと、いちど考えた。

「お茶だけじゃなくて、桑の実を使ったジャムとかもあって。それを使ったお菓子もつくれるんです。なので、パティシエになって大唐桑を広めることもできるかなと思ってたんですけど。でもそれは、とてもぐらぐらした夢で。自分がやりたいことが、まだぜんぜんわからなかったので、ほんとうにこれに就きたいのかって言われたら、違うなあと思いながらぐらぐらしてて。でも震災後、人のために役立つ仕事に就きたいってことがはっきりしたので、今は気持ち的には安定しています」

男乕さんの気持ちを安定させた「将来やりたい仕事」は、何か。

(明日に続く)

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