「仕事が速い、値段が安い、話が速い」会社
それは、いまから思えば、日本企業が総合商社を先頭に、全世界に打って出ていった時期でした。彼らはありとあらゆるものを世界中の国々に売りまくっていました。ダム、火力発電所、鉄道……そういう事業の入札を総合商社が窓口になって引き受けていたのです。ものが大きいですから、契約書から機械の仕様書まで、翻訳文書はそれこそキロ単位で発生しますし、けっこう入札期限がタイトでしたから、翻訳の精粗なんて構っていられません。とにかくだいたいどういう感じの仕事なのかが日本語で読めればそれでいいということで「人海戦術」で翻訳する。
僕たちの会社は「仕事が速い、値段が安い」に加えて「話が速い」という特徴がありました。なにしろ社員が4人だけで、その全員が役員なわけですから、取引先で何か交渉事があって、その場で判断を求められた時に「じゃ、こうしましょう」と決定することができた。「ちょっと持ち帰って上に相談して」ということがない。僕の場合は翻訳者も兼ねていましたので、短いテクストの場合は、発注されたその場で訳してそのまま請求書をつけて納品というような離れ業もしました。「仕事が速い」はずです。
筆者にとって「一番面白かった仕事」とは
それに僕たちに発注する方の企業の人たちだってろくに寝てないんですよね。次から次と仕事が降ってくるわけですから、もう彼らの処理能力を超えている。だから、よくわからない新規で面倒な仕事は、ろくに見もしないで下請けに丸投げしてしまう。高度経済成長期というのは、そういうものだったんです。
僕たちの会社は翻訳会社だったはずなのですが、いつの間にか印刷、製本から編集、出版にまで業態が広がってしまいました。まあ、何頼まれても「いっすよ」で引き受けちゃうんですから、発注する方は楽です。
僕が個人的にやって一番面白かった仕事は日本テレビの「木曜スペシャル」の台本でした。これは映像素材(だいたいがUFOもの)をアメリカのテレビ会社から買って、それを放送するんですけれど、その英語のスクリプトを日本語に翻訳するのです。僕は何を隠そうSFとUFOについてはたいへんに詳しい人間でしたので、僕の翻訳台本はその後構成作家が手を入れなくてもそのまま放送台本に使えるとなかなかに好評でした。