偶然の連鎖で「日本一」の城が残された
神戸新聞などの報道では、大天守最上階南側の床板上から、窓を突き破って着弾した焼夷弾の不発弾が見つかったという。B29は姫路城天守に対し、なんら容赦をしていなかったことになる。
西の丸からも2つの焼夷弾が見つかった。また、現在、千姫ぼたん園になっている旧三の丸の本城跡にあった旧鷺城中学校は、校舎3棟がすべて焼夷弾攻撃で全焼している。姫路城に大小天守をはじめ多くの建造物が残ったのは、奇跡と呼ぶほかないような偶然が重なった結果であるとしか考えられないのである。
山陽道には姫路城のほかに、豊臣秀吉の五大老の一人、宇喜多秀家が建てた岡山城天守(岡山県岡山市)、毛利輝元が建てた広島城天守(広島県広島市)、そして、天守の完成形といわれ、北側の壁面には鉄板が張られた福山城天守(広島県福山市)が残っていた。いずれも五重天守で、姫路城に負けず劣らず歴史的価値が高い建造物だったが、昭和20年(1945)に、焼夷弾攻撃および原子爆弾によって失われてしまった。
そんななか偶然の連鎖によって、江戸時代から「日本一」と讃えられた城がいまに残されたことの価値を、あらためてかみしめたいと思う。