加害者になろうとする「被害者」

極めて個人的な見解だということを前提にして、私はこの報償心理が「被害者だとしながら、加害者になろうとする人が多い韓国社会の特徴」とも無関係ではないと見ています。

日本に「謝罪と賠償を要求する」と騒ぐのはもはや韓国社会全体の圧倒的主流、いわば国家単位での(ときに外交そのものを揺るがす)動きですが、そこまでいかずとも、被害者を名乗る人たちが、どう見ても加害者のような言動をすることは、韓国内ではよく見かける光景です。

「私的制裁」の権利、すなわち法律的な根拠がなくとも、自分自身には「私的」に相手に制裁を加える権利があると信じている、そんな人が多く、また社会的にそれが受け入れられやすい、そんな側面があるわけです。こうした傾向を「正しい」「正義」などと表現する人たちがあまりに多いので、私としては見ていて苦しいところですが……。

「他人にも自分と同じ被害があるべきだ」

たとえば、大きな事故・事件で犠牲になった人の家族、または大怪我をした本人などは、その責任者への処罰を「超法規的」に要求し、それが法律の範囲内で行われると、「法(またはその執行)に問題がある」と騒ぎ、ほぼ間違いなくリベラル派の政治家たちと手を組み、1~2年後には政治勢力の一部になっていたりします。また、いじめ問題など「学校暴力」においても似たような傾向が見られます。

2008年、大邱テグ大学警察行政学科のパク・スンジン副教授(当時)が発表したデータによると、教授が分析した高等学校の学校暴力関連資料において、被害者の約半分が、その後に学校暴力の加害者になりました。転校先、または加害者がいなくなった後に、自分で自分より弱い子を殴ったりイジメたりする、などのパターンです。

こうしたことも「被害者だから、加害者になる権利がある」という心理と無関係ではないでしょう。苦しみを経験した人は、「こんなことがあってはならない」と思う人と、「他人にもこんなことがあるべきだ」と思う人にわかれます。データ化はされていない社会通念的な話ではありますが、韓国社会には後者が多い、といったところです。書き出せばキリがありませんが、「恨」を民族情緒としているだけはあります。