最澄が説いた「なくてはならない国の宝」
日本の神とは大自然のこと。「自然の恵に感謝し、勤勉に働くこと」が神への奉仕だ。そして仏教は、慈悲心(思いやり)と智慧(社会を俯瞰、客観して捉える視点)、そして仏性(一人一人に備わった感性や能力)を励み育てよと説く、人格教育の教えだ。
日本天台宗を開いた伝教大師最澄は『三家学生式』の冒頭に、「一隅を照らす」という言葉を残している。
「国の宝とはなにか。
宝とは、道を修めようとする心である。
この道心をもっている人こそ、社会にとって、なくてはならない国の宝である。中国の昔の人はいった。「直径3センチの宝石10個、それが宝ではない。社会の一隅にいながら、社会を照らす生活をする。その人こそが、なくてはならない国宝の人である。
(中略)
このような道心ある人を、インドでは菩薩と呼び、中国では君子という。
いやなことでも自分でひきうけ、よいことは他の人に分かち与える。
自分をひとまずおいて、まず他の人のために働くことこそ、本当の慈悲なのである」
いつの時代も「人こそ宝」が真実である
この『三家学生式』は、最澄が人々を幸せに導くために「一隅を照らす国宝的人材を育成したい」という熱き想いを、時の権力者である嵯峨天皇に届けたいと願って著述したものだ。
「一隅を照らす」とは、一つの隅を照らすように生きること、つまり私たち個々が各々の仕事や生活を通じて、世の中の人のためになるように努力実行すること。
そして「本当の宝とは宝石ではなく人である」という教え。
これは時代が変わっても、時勢が変わっても変わらぬ真実だ。